とりあえず、歩くか。晴れた日は星空の下で寝るのもいい。

週末の九州自然歩道のトレッキングや日常の雑感です。英語版のトレッキングログもこちら https://nayutakun.hatenadiary.com/  で公開しています。

新高 1kg近い巨大な梨

 先日、また梨を頂いた。私の果物好きを知って、毎年、地元の名産の果物を送ってくれる知人からだ。今回の梨は荒尾梨の新高(にいたか)。巨大な梨だ。新高は熊本県北部の荒尾の産がことに有名で、また大きく、1個1kg近いものもある。隣に並べた南水は450g。これも近所の青果店の店頭に並ぶ梨と比べたら決して小さなサイズではないのだが、今回の新高と比較すると小粒に見えてしまう。この新高は830gあった。

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頂いた荒尾梨(新高)と南水

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左の南水は2L相当のサイズ 右の新高がいかに大きいことか

 新高のことも気になったので調べてみた。新高は、先日の南水や、従来から知られている豊水、新水、幸水のいわゆる三水と同じく、赤梨系の晩生種。現在、和なし生産の11%、第4位の生産量を占めるメジャーな品種だ。

 新高という名前からわかるように、第2次世界大戦前からの品種である。菊地秋雄が東京府立園芸学校の玉川果樹園で、天の川と長十郎を交配させて育成した品種で、1927年に命名された。当時日本に領有されていた台湾にある新高山(現在は玉山と呼ばれる)に由来するとされている。しかし、命名の由来にはもう一つの説もあり、育成された当時は新潟県の梨「天の川」と、高知県の梨「今村秋」の交配とされていたため、それぞれの地名を1文字ずつ取って「新高」と名付けられたともされている。ちなみに現在は、DNA分析により片方の交配種は今村秋ではなく、神奈川県で育種された長十郎である可能性が高いとされている。育成時にそれがわかっていたら、新高という命名はなかったかもしれない。もうひとつちなみに、現在も玉川果樹園は多摩川沿いにあり、東京都立園芸高等学校が管理している。このあたりにはいくつかの梨園も存在している。

 新高山(玉山、ぎょくざん)は日本統治時代に、明治天皇により「新しい日本最高峰」の意味で新高山と名づけられた。新高山の標高は3952mあり、3776mの富士山よりも高い。当時の梨の命名基準では国内の地名を用いることになっており、優れた品種であることから、日本で一番高い山の名称を用いたという。1941年12月2日に発令された日米開戦の日時を告げる、大日本帝国海軍の暗号電文『ニイタカヤマノボレ一二〇八』の「ニイタカヤマ」とは、この山のことである。ちなみに、この当時、植民地を含めた日本で2番目に高い山も台湾にある標高3886mの雪山(せつざん)である。雪山も日本統治時代には、新高山の次に標高が高かったために「次高山」と名づけられている。

 さて、梨の話に戻るが、新高の収穫時期は、10月中旬から11月中旬と晩成種。平均サイズは400~500gと大きいのが特徴で、大きく育ったものは1kg程度まで生育するものもある大型の品種。果汁が多く、歯ごたえのある食感で、味は酸味が薄く甘い。あまりに大きいので、一人で1つ食べきるのはなかなか困難。比較的日持ちが良いので、お客さんが来た時に食べさせてあげようと、冷蔵庫に入れている。

 今度は山の話に戻るが、新高山(玉山)はいつか登りたい山の一つである。かつては、重要な軍事拠点として入山は厳しく制限されていたとのことである。現在も台湾自然生態保護区として入山制限がなされているが、事前に申請を行えば容易に入山することができるようになっているとのことなので、いずれ登頂するつもりである。