とりあえず、歩くか。晴れた日は星空の下で寝るのもいい。

週末の九州自然歩道のトレッキングや日常の雑感です。英語版のトレッキングログもこちら https://nayutakun.hatenadiary.com/  で公開しています。

飯田線 わが愛しの


 しばらく前に阪急電鉄のことを載せたところ、意外と好印象を持ってくれた人がいて、ちょっと嬉しくなった。というか、他の内容にはさっぱりと反応がないと言ったほうが正しいかもしれないが。非鉄系の私の書いたものでも、鉄系の方は敏感に反応してくれるようだ。やはり鉄分が多いと、コンパスがそっちを向いてしまうからだろう。

 数えるほどではあったが、反応があったことに気をよくして、ほんのわずかな知識と経験を振り絞って、鉄分の少ない私が、これまでに最も乗車回数が多く、思い入れのある鉄道について書いてみようと思う。というのも、その鉄道は鉄道マニアならばみんな知っているであろう飯田線(いいだせん)だからだ。

 飯田線は、愛知県豊橋市豊橋駅と長野県上伊那郡辰野町辰野駅を結ぶJR東海地方交通線。全長は195.7 kmと長いローカル線だ。起終点を含めて94もの駅があり、平均駅間距離は約2.1kmと非常に短い。急峻な山間を走る正真正銘のローカル線なのに、山手線のように停車の間隔が短いため、全線を乗り通すためには7時間ほども要する路線である。

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 飯田線の出自は、もともと4社の私鉄路線(豊川鉄道、鳳来寺鉄道、三信鉄道、伊那電気鉄道)である。まずは、現飯田線の最南部にあたる豊川鉄道が1897年に豊橋駅から三河一宮駅間で営業を開始し、1900年に大海駅まで開通した。

 次いで、1909年に現飯田線の最北部に当たる伊那電気鉄道が辰野駅から伊那松島駅間で営業を開始した。その後、伊那電気鉄道はすこしずつ南に路線を伸ばし、最終的に1927年に天竜峡駅まで開通した。

 その間、1923年には鳳来寺鉄道が、豊川鉄道の北になる大海駅から三河川合駅の間の営業を開始している。

 鳳来寺鉄道の北の端の三河川合駅と、伊那電気鉄道の南端となる天竜峡駅の間には鉄道はなかったが、1932年に三信鉄道がまず、伊那電気鉄道の路線の南端であった天竜峡駅から南の間島駅間の営業を開始し、翌1933年にはこんどは鳳来寺鉄道の北端になる三河川合駅東栄駅間の営業を開始している。三河川合駅の次の池場駅の間には1114mの池場トンネルがあることから、当時は難工事であったものと思われる。この池場トンネルは、豊川水系天竜川水系分水嶺となる池場峠の下を通るトンネルで、ここを抜けると川の流れの向きが変わる。

 その後、三信鉄道は北と南から次第に路線を伸展し、1937年に大嵐(おおぞれ)駅と小和田(こわだ)駅間が営業を開始したことで、三信鉄道は南北がつながるとともに、現在の飯田線豊橋駅から辰野駅間が、豊川鉄道の開業から40年を経てつながることとなった。

 飯田線の最後のピースであった小和田駅は、天竜川の佐久間ダムによって隔てられた地形となっており、自動車の通行できる道路によるアプローチはなく、秘境駅として知られた駅である。また、現天皇陛下のご成婚の際には、読み方は異なるものの、皇后の旧姓と同じ漢字であることで、恋愛成就の駅として一躍有名となった。

 この4つの簡易な規格で建設された地方鉄道路線は、最終的に1943年に戦時の国策国有化で買収され、国鉄に組み入れられて、愛知県、静岡県、長野県に跨る険しい山岳地帯を貫く飯田線となった。軌間はもちろん狭軌の1067mm。佐久間ダムのような発電用ダムの資材運搬も行っていたことから、電化が比較的容易に行える背景があり、古くから全線電化されている。

 飯田線の南の区間、とくに愛知県の本長篠駅から長野県の天竜峡駅までの区間の車窓は、急峻な山沿いのコースで、飯田線でも最も魅力的な路線である。私の好きな車窓風景は、旧鳳来寺鉄道の北の端にあたる湯谷温泉駅から三河川合駅の間の豊川水系宇連川に沿って走る区間で、車窓からは板敷川と呼ばれる凝灰岩の一枚板のような河床の上を澄んだ水が流れる美しい川を杉木立の向こうに眺めることができる。ここを通るときには、必ず東側の窓側に席を確保し、見逃さないようにしている。

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飯田線の窓から見た板敷川 写真が悪くてごめん

 そのほか、旧三信鉄道の区間には、多数の秘境駅や、川の対岸に渡らず戻ってくる通称S字橋こと第六水窪川橋梁、長いトンネルがあるが、このあたりは鉄系の方はすでにご存じだろう。また、かつて、飯田線はいわゆる旧形国電や旧形電気機関車が残存することで知られていたが、これは非鉄系の人間にはさっぱりなので、知ったかぶりはやめておこう。

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2003年8月24日午後4時頃 辰野駅を出発

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豊橋行きの飯田線の車両 2003年8月24日撮影

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元善光寺あたりですでに暗くなってしまった 2003年8月24日撮影

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小和田駅ではもう真っ暗 2003年8月24日撮影

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秘境駅として名高い小和田駅 2007年5月4日に撮影

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小和田駅の恋愛成就の碑

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S字橋の上を通過する列車の車窓からの風景 2007年5月4日撮影

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前も後ろもトンネルの大嵐(おおぞれ)駅 2007年5月4日撮影

 2003年8月24日に、北の辰野駅から南の豊橋駅までの飯田線全線を各駅停車の普通列車で通して乗ったことがある。要した時間は7時間余。残念ながら途中の飯田あたりで日が暮れてしまい、全部の路線の車窓の景色を楽しむことはできなかったが、とても良い思い出である。2007年にも、旧三信鉄道の区間を中心に、普通列車の旅に行ってしまった。しかーし、私は決して鉄道マニアではないので、今後はこの手の話題は期待しないでほしい。