とりあえず、歩くか。晴れた日は星空の下で寝るのもいい。

週末の九州自然歩道のトレッキングや日常の雑感です。英語版のトレッキングログもこちら https://nayutakun.hatenadiary.com/  で公開しています。

曼珠沙華 突然現れて忽然と消える

 稲の収穫を迎える時期に、畦に群生して鮮やかな赤い花をつける彼岸花ヒガンバナ)。葉のない花茎の先端に、直径は10cmに近く、大きく反り返った鮮やかな赤色の6枚の花弁からなる花をつけた独特な姿をしているので、ほとんどの方はご存じかと思う。ヒガンバナ科ヒガンバナ属の多年生の球根性植物である。学名はLycoris radiata。放射状のリコリスの意であろうか。

f:id:nayutakun:20191217201334j:plain

ヒガンバナ曼珠沙華

 ヒガンバナの名は秋の彼岸頃から開花することに由来すると考えられるが、有毒であるためこれを食べると「彼岸(死)」に行くということから名付けられたとする説もある。ヒガンバナのよく知られた別名に曼珠沙華マンジュシャゲ)があるが、由来は仏典である法華経の「蔓陀羅華 摩訶曼陀羅華 蔓殊沙華 摩訶蔓殊沙華」の一節に由来するとされている。墓の周囲に生えていることが多いことから、死人花(シビトバナ)、幽霊花(ユウレイバナ)、地獄花(ジゴクバナ)、死人花(シビトバナ)、灯籠花(トウロウバナ)、捨子花(ステゴバナ)、蛇花(ヘビノハナ)、剃刀花(カミソリバナ)、狐花(キツネバナ)、など縁起の悪い別名で呼ばれることもある。また、開花時の特異な生態から、葉見ず花見ず(ハミズハナミズ)と呼ばれることもある。野花の中では、良くも悪くも、目立つ花である。異名が多いことで知られており、日本においてヒガンバナを指す別名は1023種あるとされている。(ヒガンバナの別名:http://www.kumamotokokufu-h.ed.jp/kumamoto/sizen/higan_name.htmlより)

 幼い頃に、この花には毒があるから触るなと言われた記憶がある。ヒガンバナは鱗茎にアルカロイド(リコリン、ガランタミン、セキサニン、ホモリコリン等)を多く含む有毒の植物である。経口摂取すると吐き気や下痢を起こし、ひどい場合には中枢神経の麻痺を起こして死に至ることもあるとされている。

 日本には北海道から琉球列島まで分布するが、自生していたわけではなく、中国大陸から稲作の伝来時に土とともに鱗茎が混入してきて広まったと言われている。日本のヒガンバナは3倍体のため種子をつけることがなく、繁殖は鱗茎が分かれる(球根が分球する)ことによって行われる。つまり、ヒガンバナのほとんどは人の手によって植えられたものだということになる。鱗茎の毒によって、土に穴を掘る小動物(モグラ、ネズミ等)を忌避できるため、稲作の導入時に畦を保護するために植えたり、土葬された墓を保護するために植えたと推測する意見もあり、得心がいく。

 それでも、球根の分球のみが繁殖の方法であるヒガンバナにしては、しばしば群生が見られるのは不思議な気がする。これについては松江幸雄が研究していて、ヒガンバナの繁殖を30年にわたり観察した結果、1個の球根が926個に増えたと報告している(「遺伝」(裳華房)1997年4月号)。30年で926個まで個体が増殖したと聞くと、恐ろしいほどの繁殖力と思ってしまうが、増殖する確率が毎年1.255程度であれば、30年で900程度になるので、それほどのものではない。強力なインフルエンサーが登場して、毎年ヒガンバナを10株ずつ植えよう運動なんてのを我が国で展開しない限り、日本中がヒガンバナだらけになることはないので心配しないでおいて欲しい。豊臣秀吉が、この手のとんちで曽呂利新左衛門に一杯食わされたことがあるのは有名な逸話である。

f:id:nayutakun:20191217201408j:plain

田んぼの畦に収穫の時期に現れる

 江戸時代の福岡在住の医学者、本草学者(博物学者)である貝原益軒は、その著になる大和本草ヒガンバナのことを記している。大和本草巻之九 草之五(中村学園大学貝原益軒アーカイブhttps://www.nakamura-u.ac.jp/library/kaibaraで閲覧可能)に記載があるが、「石蒜(シビトハナ、ステコノハナ)老鴉蒜也シヒトハナト云四月或八九月赤花サタ下品ナリ此時葉ハナクテ花サク故ニ筑紫ニテステ子ノ花ト云本草山草下ニアリ」との記述があり、捨て子の花とされた由来が書かれている。本草とは、とくに漢方医術で薬用植物のことを指し、ヒガンバナも石蒜(せきさん)として、鱗茎を生薬として用いる。また、球根に澱粉が多量に含まれていることから、砕いて水によくさらして毒性を取り除けば食料になるとして、貝原益軒救荒植物(飢餓の時に食べる食物)として田畑の畦などに植えることを勧めたという。

 さらに注目すべきは独特な生活史。夏までは地表に姿を見せることはなく、夏の終わりに花茎が地上に突出し、彼岸の頃に突然開花する。そして、花期が終了した晩秋に深緑色の葉を出して、冬の間、栄養を蓄える。翌春になると枯れてしまい、秋が近づくまで地表には何も生えてこない。突然、炎のごとく現れ、忽然と消えてしまうのだ。