とりあえず、歩くか。晴れた日は星空の下で寝るのもいい。

週末の九州自然歩道のトレッキングや日常の雑感です。英語版のトレッキングログもこちら https://nayutakun.hatenadiary.com/  で公開しています。

清美 タンゴールの歴史は1949年生まれのビッグママから始まった

 10数年前であるが、デコポンを初めて食べた時は衝撃的だった。果皮が厚く、頭の部分が膨らみ、なんとも格好の悪い柑橘であるが、意外なほどに果皮がむきやすく、果皮を剥いた際に立つ香りが素晴らしい。そして、瓤嚢膜(じょうのうまく、薄皮のこと)はあくまで薄く、果実は素晴らしくジューシーで、甘さはきわめて強く、酸味もくっきりと輪郭を残す。種がほとんどなくて食べやすく、大玉なため4つぐらいで満足してしまう。こんな、究極の柑橘が現れたんだと、ほとほと感心してしまった。

 当時は非常に高価だったデコポンは、不知火(しらぬひ)という品種名でも出回るようになり、最近では4玉298円などという扱いまでされるようになっている。それもそのはず。10年前のデコポンの衝撃を凌駕するような芸術的な柑橘類が、最近は青果店の店頭で見られるようになってきたからだ。

f:id:nayutakun:20200223124952j:plain

左から、温州(みかん)、西南、せとか、天草

 たとえば、せとか。温州みかんより少し硬めの果皮を剥くと、素晴らしい芳香が立ち、甘み、酸味ともに濃厚。たとえば麗紅。剥きやすい果皮の中には、あくまでも糖度の高い濃厚な果肉。西南もすばらしい。それから、1昨年はじめて食べてみた愛媛産の紅まどんな。非の打ち所のない、完成された濃厚な味わい。これはまさに芸術品。こんな新品種の柑橘系の前には、デコポンの威光が霞んでしまうほどであるのだ。

 これらの新興の柑橘系がタンゴール(tangor)である。みかん(tangerine)とオレンジ(orange)の交雑種のため、tang-orと名付けられた。最近、青果店の店頭に高級柑橘としてディスプレイされているものの多くが、このタンゴール系の柑橘類である。

f:id:nayutakun:20200223125133j:plain

 図にはタンゴール系のおもな品種と育成に関わったおもな交配種を示す。それぞれ四角の中には品種名、育成機関、品種登録年、旬の時期を分かるだけ記載してみた。オレンジ色の四角はタンゴール系の品種、赤い四角は交配に用いられたオレンジに由来する品種、薄いオレンジ色の四角は温州みかんやみかんの変種であるポンカンなどのみかん系の品種を示す。図の中央上部に赤枠で囲まれたタンゴールがあるが、これがタンゴールの始祖となる「清美」である。

f:id:nayutakun:20200223125200j:plain

左が温州、右が清美

 清美は静岡市の園芸試験場(現・農研機構果樹研究所カンキツ研究興津拠点)で、1949年に温州みかんの代表的な品種である宮川早生と、トロビタオレンジの花粉を交配させて育成された品種である。ジューシーでオレンジ香があり、食味は良好。果汁糖度は11~12度程度と、すばらしく甘いというほどではないが、現在も年間に1万トン以上生産されており、店頭で見かけることも多い。

 清美のもっとも素晴らしいところは、ビッグママとして多数の優秀な子供を産んでくれたこと。すなわち、交配親としてすぐれた子孫を作っているところである。清美は種子のでき方が柑橘類では珍しい単胚性である。単胚性の反対の性質が多胚性であるが、これは雌しべが種子を形成する際に、受粉した交雑胚の他に、多数の自分のクローンの種(珠心胚)を形成する性質で、交雑胚からつくられる種子が成長しにくくなる。このため、多胚性では交雑したものから種子を得にくくなる。これに対して、単胚性とは雌しべが交雑した交雑胚のみを育成する性質のことで、交雑種を作る際の母親役として有用な性質となる。

 このため清美は交配親として多用されることとなり、子孫の第1世代には不知火(デコポン)、はるみといった名品を生み出すこととなる。第2世代にはせとか、はれひめ、そして第3世代には、現在のタンゴール系の最高峰と目される愛媛果試第28号(商品名 紅まどんな)が育成されていくことになる。現在、タンゴール系の名品のほとんどは、清美を母方に持った血筋になるのである。

 さて、10年以上前に衝撃を受けたデコポン(不知火)であるが、品種登録は1972年である。これに対して、母親の清美の品種登録は1979年。自らの子どもよりも品種登録が遅いのだ。しかし、清美の登録品種名は「タンゴール農林1号」。ここに彼女のプライドが標されている。清美の原木は果樹研究所カンキツ研究興津拠点に現存しているそうだ。いつか彼女を見に行って、その幹を撫でてあげたい。