とりあえず、歩くか。晴れた日は星空の下で寝るのもいい。

週末の九州自然歩道のトレッキングや日常の雑感です。英語版のトレッキングログもこちら https://nayutakun.hatenadiary.com/  で公開しています。

東京建築散歩 その1 丸の内・銀座界隈編 (5) 和光本館

 東京駅を起点として新橋駅に至るまで、丸の内、銀座、築地、新橋界隈の著名な建築物を巡る一筆書きの旅の5つ目の建造物。銀座1丁目でティファニー銀座の宝石箱のようなファサードを堪能した後に、銀座中央通りを1丁目から4丁目に向かって進む。

(5) 和光本館(服部時計店ビル) 中央区銀座4-5-11 設計:渡辺仁

 銀座1丁目から、名だたる有名店舗が連なる銀座中央通りを300mほど歩くと、日本で最も路線価が高いとされる4丁目の交差点まで数分で到着する。この銀座の中心にあり、1932年の竣工から現在に至るまで銀座のシンボルであり続けてきたのが服部時計店ビル。現在の和光本館である。

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銀座のシンボル 和光本館

 この優雅な建造物は、高級百貨店である和光の本館ビルというイメージがあるが、もともとはSEIKOブランドで知られる服部時計店の社屋である時計塔として建てられたもの。1947年に服部時計店の小売部門の業務を継承して株式会社和光が設立され、1952年から現在の和光本館での営業を開始している。現在は株式会社和光の本店だが、今なおセイコーホールディングス株式会社の登記上の本店でもある。

 服部時計店は、1881年服部金太郎が創業した輸入時計・宝飾品の販売店。後に時計の製造卸売会社、精密機器・電子部品・電子機器メーカーとして発展し、現在はセイコーホールディングス株式会社となっているが、セイコーグループの源流企業である。

 銀座4丁目の交差点に面した初代時計塔が完成したのは1894年。その後、建て替えに着手されたが1923年の関東大震災により建設を中断。工事が再開されたのは1929年末で、現在の二代目時計塔が竣工したのは1932年である。

 設計は、1887年に佐渡で生まれ、東京で育った渡辺仁。1912年に東京帝国大学工科大学建築学科を卒業し、建築事務所を開設している。1927年に竣工した、山下公園に面した好立地に立てられた横浜を代表するホテルであるホテルニューグランドの設計の実績を持っていたが、服部時計店の設計は彼をさらに有名にしたようだ。ちなみに渡辺仁の父は後に東京帝国大学工科大学校長になる渡辺渡。専門は建築学ではなく冶金学で、佐渡鉱山局への勤務歴がある。

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横浜 山下公園に面したホテルニューグランド

 銀座界隈には渡辺仁の設計になる建造物は多く、かつて有楽町数寄屋橋そばに建てられていた日本劇場(1933年竣工、現存せず)、同じく有楽町の農林中央金庫(1933年竣工、一部外壁のみ復元保存)、農林中央金庫に隣り合うように建てられている第一生命館(1938年竣工)などの作品が並ぶ。

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皇居の内堀に面した第一生命ビル

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第一生命ビルは戦後はGHQに接収されていた。上層階にはマッカーサー元帥が使用していた部屋が保存されている。

 また、上野公園の奥に威風堂々を鎮座する東京国立博物館本館の原案は渡辺仁のコンペ当選案である。この建造物は、東京帝室博物館として1937年竣工したが、実施設計は宮内省内匠寮が行っており、渡辺仁は関わっていない。

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上野公園の東京国立博物館本館

 銀座のシンボルとして、4丁目の交差点を見下ろすようにゆるい弧を描いた優雅な曲面の壁とその上の4面の文字盤を持つ時計塔をもつこの建物は、ネオ・ルネッサンス様式と呼ばれ、アラベスク模様の装飾が丁寧にあしらわれている。時計塔のチャイムは、営業時間内の正時になる45秒前からウエストミンスター式チャイムが鳴り始め、その余韻の後の第1打が正時となるようにセイコー・クオーツ製のムーブメントが制御している。 

 ちなみに、この和光だけが私がごくまれに買い物をする銀座の店舗である。何を買うかというと、バーガンディの色のコードバンの財布である。1997年に配偶者からプレゼントされたWAKOの印の入ったコードバンの財布の手触りがあまりに素晴らしかったため、以来、数年ごとに桜の季節になると和光に行って同型のコードバンの財布を購入している。それだけである。

 1954年公開の映画「ゴジラ」では、和光の時計ビルが時計塔の鐘の音に怒ったゴジラに破壊されたシーンがある。ところが、和光側はこの映画中のシーンに激怒し、東宝に猛抗議をして、この映画中に和光が現れるシーンを2年間にわたり使用させなかったという。ま、これは大人げないというか。ちなみに2016年公開の「シン・ゴジラ」でも再び和光は破壊されている。今回も制作・配給を行った東宝に抗議があったかどうかは、漏れ聞こえるところはない。

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   参考文献:稲葉なおと:名建築、銀座・和光の昭和7年6月10日