東京駅を起点として新橋駅に至るまで、丸の内、銀座、築地、新橋界隈の著名な建築物を巡る一筆書きの旅の9つ目の建造物。電通築地ビルの横を南に向かって進む。150mも進むと、交差点の向こうに壮大な仏教寺院が見えてくる。
京都市にある西本願寺の直轄寺院である。1934年竣工の本堂の設計者は伊東忠太。
江戸時代の1617年に西本願寺の別院として現在の日本橋横山町に建立され、江戸の大半が焼失した1657年の明暦の大火で本堂を失った。その後、江戸幕府による区画整理のために再建が許されないため、本堂再建のために佃島の門徒が中心になって埋め立て地を築いたことが「築地」の地名の由来となっている。
1923年の関東大震災で再び本堂を失い、1931年に再建が起工し、1934年に現在の本堂が竣工している。日本における木造の典型的な仏教建築とは異なり、コンクリート建造物で、インドの石窟寺院風である。両翼には仏塔を載いている。
設計者の伊東忠太は、帝国大学工科大学(現在の東京大学工学部)出身で、東京帝国大学の教授を長く務めたが、それまで使われていた「造家」ということばを「建築」に改めたとされている。
また、橿原神宮、平安神宮、宮崎神宮、明治神宮などの宗教建造物を主とした多くの設計に関わり、いまでもその作品に触れることができる。首里城正殿の保存に尽力したことでも知られている。