とりあえず、歩くか。晴れた日は星空の下で寝るのもいい。

週末の九州自然歩道のトレッキングや日常の雑感です。英語版のトレッキングログもこちら https://nayutakun.hatenadiary.com/  で公開しています。

崎陽軒シウマイ弁当

 おじいさんに連れられて、二人で東海道本線に乗って横浜あたりに行った記憶がある。おじいさんとは母の父親で、東海道新幹線の開業前のことなので、たぶん1964年頃。自分はまだ2歳か3歳の頃の話で、はっきりとした思い出ではない。実家の近くの飯田線の駅から豊橋で乗り換えたのだが、乗り換えの際にはすでに暗かった。豊橋からはおそらく特急に乗ったのだろう。「つばめ」だったのか「こだま」だったのかと思うが、これは思い出せない。

 指定席というものはなかったのだろうか。それとも等級の低い車両だったのか、混んだ車内でかろうじておじいさんが見つけた座席に座っていた。「おしっこ」と叫ぶ私に困り果てたおじいさんが、短時間の途中停車の駅でズボンを脱がせた私を、乗客が見ているホームの反対側にぶら下げて、その状態で線路に向かって小用をしたことを憶えている。このときは、これまで怒ったことのないおじいさんが怒っていた。

 行った先は熱海だったと思う。後で聞いた話では、おじいさんの三女の、つまり私の叔母の、結婚式に出るために行ったようだ。結婚式のことは憶えていないが、宴会は旅館のような建物の2階で行われた。窓からは海が見えた。

 どこに泊まったのか憶えていないが、帰りは横浜駅から乗車したようなぼんやりとした記憶がある。意外と憶えているのが、駅まで見送りに来た叔母から渡された弁当を開けようと結ばれた紐を解こうと苦心していろいろやっていたら、おじいさんが片方の紐をすっと引っ張ったら簡単に解けてしまったこと。杉の薄板を剥がしたら、その下には経木でできた容器にシウマイが並んでいた。シウマイの横には小さな陶器の醤油入れが添えてあった。これが人生初めての崎陽軒シウマイ弁当

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 最近は東海道線で長い距離を乗車することはまずない。福岡と東京との往復にはもっぱら飛行機を使う。羽田空港からの帰りが夕刻のときには、第2ターミナルの61番ゲート近くの売店崎陽軒シウマイ弁当を購入して、飛行機の中で食べるのを楽しみにしている。隣に座った方には悪いなと思いながらも、止められない。小田原上空あたりで水平飛行に移ったとき、テーブルを出して弁当を拡げると、A席の左の窓の下方には夕日に映える富士山。左手に持った文庫本を読みながら、シウマイ弁当に舌鼓を打つのは至福の時間。

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 崎陽軒シウマイ弁当は、いつ食べても美味しい。ときどき羽田空港シウマイ弁当が売り切れているときに、やむなく他の弁当を購入することもあるが、もの足りない。ほんのりホタテの味のするシウマイは美味く、ご飯はツヤツヤして、冷めてももっちりしている。筍煮はご飯が進むし、鮪の漬け焼と鶏の唐揚げはアクセントのあるおかずとなる。切り昆布と千切り生姜でご飯とおかずの配分を調整し、蒲鉾や卵焼きは口直しになる。最後は小梅をカリカリ噛んで口の中を唾液で洗い流し、干しあんずをデザートとして終える。値段も手頃で、豪奢に過ぎない。バランスが良い優れた弁当だと、いつも感心して食べている。

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 シウマイ弁当を食べると、おじいさんと乗った東海道本線の特急のことを思い出す。おじいさんは私が3歳の時の11月頃に交通事故で亡くなってしまったので、これがおじいさんとの最後の旅行の思い出。崎陽軒シウマイ弁当は、自分の死ぬ前に食べたい30の食べ物リストに載せてある。