とりあえず、歩くか。晴れた日は星空の下で寝るのもいい。

週末の九州自然歩道のトレッキングや日常の雑感です。英語版のトレッキングログもこちら https://nayutakun.hatenadiary.com/  で公開しています。

広田弘毅と緒方敏雄

 友人から彫像を頂いた。

 たしか2度目の友人宅の訪問の際だったと思うのだが、窓辺に置かれた等身大の女性の彫像に夕暮れの逆光が重なり、差し出した指の先から漏れる光がとてもきれいに感じた。友人がこの家に引っ越してきてからまだ1年ほどで、前回の訪問からインテリアの位置が少しずつ変わっている。この女性の彫像は前回この位置にはなかった。いい位置に姿の良い彫像を置きましたねと感想を述べたら、一つ要りませんか?と言われてビックリした。

 自分はまったくの芸術音痴。1回目の訪問時に現代美術の話になったとき、マルセル・デュシャンの「Fountain」という作品の話になった。たまたま、フィラデルフィア美術館でフランク・ステラの作品の隣にこの作品が並んでいたのを1994年に見ていた。20世紀美術に最も影響を与えた作品だとされるのだが、ただのトイレだったと言ったら笑われた。そのぐらい芸術には疎い。

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デュシャンのFountainは自分にはこんな風に見えた

 女性の彫像が地下室にいくつもあって、他の人にも勧めてみたが、もらってくれる人がなかなか見つからない、と友人は言う。自分の親戚にあたる彫刻家が、同じモチーフの作品を何点も制作しており、それを保管しているのだと。

 友人宅は福岡市街を一望する丘の上に立った、日本家屋を現代風にリフォームした素敵な住宅。上から下までガラスの北西のコーナーに置かれた等身大の女性の彫像はいかにも据わりが良い。自分の家は、福岡城下でいえば小姓の住んでいたようなゴミゴミした住宅街にある。はたしてこんな立派な彫像を置くスペースや背景があるだろうか。「今度、自宅に来て置くところがあるかどうか見てください」と言ってその日は友人宅を辞した。

 翌週に自宅を見に来てくれた。チャイムの音で玄関を開けると、すでに右脇に大きな彫像を抱えていた。あと2つ車の中にあるので、一緒に取りに来て下さいと言われ、合計3体の彫像をリビングに並べてみた。いずれも、女性の裸像で色調は褐色。大はほぼ等身大、中は胸ほどの大きさ、小は50cmほどの高さ。金属製かと思っていたら、プラスティック製で意外に軽かった。

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「おんな」 緒方敏雄作

 どれも魅力的だったが、リビングに置くならば「中」だと決まり、この日から彫像が我が家のリビングに置かれることになった。作者は緒方敏雄氏という佐賀大学の教授だった方。題名は「おんな」。この他には、この作品にどんな背景があるのか分からない。おそらくかなりの価値のあるものだろうとは思うが、それも分からない。しばらく経って、リビングにはなくてはならないもののような気がしてきた。ときどき埃を払って大切にしている。

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現在の定位置

 彫像が我が家に来てからちょうど半年経過した日に、山に行けない週末に近所の大濠公園をジョギングしていた。たまたまいつもの大濠公園の周回コースから外れて、大濠公園の東の福岡市美術館からNHK福岡放送局の前を通りかかったときだった。これまで何度も通ったはずの道なのだが、道路脇に大きな銅像があるのにはじめて気が付いた。広田弘毅銅像だった。

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大濠公園の南に建つ広田弘毅

 およそ政治や政治家というものには興味がない、というか嫌いなのだが、歴代の首相の中で広田弘毅だけは尊敬する人物。ご存じの方も多いと思うのだが、太平洋戦争後の東京裁判A級戦犯として絞首刑となった唯一の文官。戦中には勇ましいことを言っていた軍人たちが、戦後の裁判の場では自分の身を守るために汲々として弁解を連ねるのに対し、広田は戦争の拡大を防ぐために力を尽くしながら、一切の弁明を行わずに刑に処せられている。その清廉な政治姿勢と、いさぎのよい散り際が城山三郎の「落日燃ゆ」という小説に描かれている。そういえば、広田弘毅は福岡出身だったなと思いながら、家に帰ってから広田弘毅像について調べてみた。

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 大濠公園広田弘毅銅像は、1982年ごろに当時の福岡市長だった進藤一馬を中心に建てられている。進藤一馬は戦後まで活動していた福岡に本拠を置く玄洋社という政治団体の最後の社長。落日燃ゆの中では広田弘毅玄洋社と直接には関係がないとされているが、明道館という玄洋社の運営する道場で柔道を習い、東大で学んだころには頭山満という玄洋社を組織した人物とかなり密に親交し、援助も受けているようだ。

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大濠公園内には進藤一馬の像も

 頭山満という人物もかなり興味深い。西南戦争の折には福岡藩士として西郷隆盛とともに戦おうとしていたが果たせず、板垣退助に影響を受けて自由民権運動に参画している。その後に福岡で労働争議を力づくで抑え込むために作った向陽社という結社が玄洋社の前身となる。頭山とともに向陽社を作った一人である進藤喜平太は進藤一馬の父親である。玄洋社というのも非常に興味深いが、話が長くなるので次の機会にしたい。

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福岡市中央区にあった玄洋社

 広田弘毅銅像に話を戻すが、制作したのは富山県高岡市に所在する竹中銅器という会社。銅像の原作者は、なんと現在リビングにいる女性の裸像の作者と同じ、緒方敏雄であった。これは、大切にしなければならないなと肝に銘じた。

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広田弘毅像の背部には緒方敏雄の刻字があることを後日確認