養老ばなしをもう一つ。先日、岐阜県にある養老天命反転地に行ったついでに、養老の滝に立ち寄ったときのこと。
養老の滝についての伝説は有名なのでご存じの方が多いと思う。老いた父親と暮らす息子が山に仕事に行って足を滑らせて谷底に落ち、意識を消失した後に気がついたところが滝のそば。喉が渇いたと思って滝の水を飲んだところが酒だった。腰に下げた瓢箪に滝の水を汲んで持ち帰ったところ、酒好きの父親から喜ばれたという孝行息子のお話。
とてもあり得ない話だとは思うが、その噂を聞いた当時の元正天皇が行幸して、さらには霊亀三年から養老元年に改元(717年11月17日に改元)したというから、ただの胡散臭い伝承話だとは捨てておけない。
実際に滝の水を舐めてみて、アルコール成分を感じることができないかどうか試してみようと思った。小生、アルコールにはからきし弱く、酢の物に入った日本酒を感じることができ、ワクチン接種の際に腕を清拭する酒精綿で皮膚が赤くなる本格派の下戸。山道を登り、滝壺の水を口に含んでみたが、アルコールは検知できなかった。やはりこれは、自分が親不孝を重ねてきたためかなと、いまは亡き父母の顔が頭をよぎった。
滝のほうは日本の滝百選に挙げられているだけあって、落差32mの立派な滝であった。周囲には紅葉が多く生えており、これからの季節は美しい眺めになるだろうなと、水音を聞きながら養老の滝をあとにして、坂道を下りはじめた。
時刻は午後4時半を過ぎたころ。山脈の東側になる養老の滝からの帰り道は薄暗くなってきた。参道に軒を並べる茶店もそろそろ店仕舞いを始めている。そんな一つの茶店の前で流水に冷やされた飲み物にチラリと目を留めたところで、店の女性から「サイダー飲んでかんかん(サイダーを飲んでいかないか、という意味の尾張・三河地方の方言)」と声を掛けられた。
カバンの中にはPETボトルのお茶が入っており、さほど飲みたいとは思わなかったが、さらに「日本で最初に作られたサイダーだで(サイダーだから)」と重ねられたため、勧められるまま丸椅子に腰掛けて冷たいサイダーを頂くことにした。
サイダーは爽やかで美味しかったが、さほど喉も渇いていなかったこともあって、いっぺんに飲み干すことができない。瓶の半ばまで残ったサイダーのラベルをしばらく眺めていると、「Con qui las?」とスペイン語かイタリア語かと思われる言葉を女性から投げかけられて、思わず振り返った。頭の中で瞬時に単語を反芻してみる。conは英語のwith。quiは誰?だったか、どこ?だったかな、と思ったところで、子供の頃に「こんきいら」という言葉を聞いたことがあるのを思いだした。
「こんきい」を漢字で書くと「根気い」。すごく疲れたという意味の三河地方の方言である。三河では、名詞に「い」を付けて「丈夫い」「横着い」というふうに形容詞化して使うことがある。ただし、「こんきい」は自分が子供の頃にかなりのお年寄りが使っているのを聞いたことがあるだけで、若い人間が使うのを聞いたことがない。すでに絶滅したのかと思っていた。これに続く「ら」は「~したのではないか?」という推量を表す言葉で、今でも愛知県・長野県・山梨県・静岡県で使われる方言である。
すなわち、女性が私に話しかけた「Con qui las」という言葉はスペイン語でもイタリア語でもなく、三河弁か尾張あたりで使われている古い方言の「こんきいら」で、「(いっぺんに飲み干してしまうのは)とても大変なことだね?」という意味か、あるいは「(養老の滝まで数キロの道のりを歩いて)疲れただろうね?」とねぎらう気持ちで使われたものと思われる。そんな風に考えながら女性の顔を見ると、サイダーを無理に勧めてしまってゴメンね、とでも言いたげなふうにも見える。ちょうど年格好は、母が生きていたらこのぐらいの年齢だったかなというほど。女性に向かって「おいしいですよ」といったら微笑んでくれた。
木曽川を西に渡った養老の地で、自分の生まれ育った木曽川のずっと東にある三河地方の方言が聞けるはずもないなと思い直したが、もし天国の母がこの女性に「こんきいら」と言わせてくれたならば、勧められるまま無理をしてでもサイダーを飲み干したことで、孝行をする間もなく亡くなってしまった母に、ほんの少しだけ親孝行ができたような気もしてきた。