小学校の頃からずっと、地図帳を開くたびに気になっていたことがある。和歌山県の東の三重県と奈良県に囲まれた山地の中に、赤い枠線で囲まれた和歌山県の飛び地があることだ。
飛び地は2か所。調べてみると、西の小さな飛び地は和歌山県新宮市の飛び地で、東の大きな飛び地は和歌山県北山村となっている。謎の飛び地として長い間、心の片隅に引っかかっていたが、先日購入した「地図帳の深読み」(今尾恵介著、帝国書院)を読んで疑問が氷解した。
この本によると、飛び地となった原因は明治の廃藩置県。1871年7月の廃藩置県のために紀伊の国だった当地の周辺が、まず和歌山県、田辺県、新宮県の3つの県に分かれることになった。さらに同じ年の11月に、新宮県は熊野川以東が度会県(現在の三重県)に、以西が和歌山県に分割されてしまう。ところが渡会県になるはずの大沼村、下尾井村、小松村、竹原村、七色村の北山川上流域のエリアは、北山川から熊野川を筏流しで木材を運ぶことを主産業としており、和歌山県に編入されることになった新宮との結びつきが強い。加えて当時は河川交通が同地の主要な交通で、三重県との往来はほとんどなかったようだ。そんなことで、同エリアは三重県への編入を拒み、和歌山県にとどまることになって飛び地となってしまった。その後、1889年4月1日に町村制が施行されて、大沼村、下尾井村、小松村、竹原村、七色村は北山村となり、現在に至っている。
また、南アフリカにも面白い飛び地がある。気になるその地の名前はレソト王国(Lesotho)。周囲を南アフリカ共和国に囲まれている国の中の国といった格好。小学校の頃の地図帳では、このあたりにはオレンジ自由国とかバストランドとか書かれていたような気がする。
1966年にイギリスから独立して成立した国なので、私が小学校に通っていた頃の地図帳には標記がなかったかもしれない。人口170万人の小国。首都のマセルには国際空港があるので、南アフリカ共和国の地に足をつけなくてもレソトへの入国は可能かもしれないが、周囲をグルリと一つの他国に囲まれた国というのは特異的だ。その成り立ちにも特殊な事情があるに違いないと思われるが、詳細は把握していない。
こんなことが頭に浮かんだのは、2021年12月19日の中国自然歩道のトレッキングの到着地が広島県の府中だったことから。
府中と聞いてまず頭に浮かぶのは東京の府中市だろう。東京競馬場、通称府中競馬場のある東京都府中市の知名度は、日本にいくつもある地名である府中の中でも抜群。日本ダービーや秋の天皇賞など、全26のGIレースのうち8レースが開催されるので、テレビや新聞への露出も多い。1976年のユーミンの「中央フリーウェイ」の歌にも、「右に見える競馬場~、左はビール工場~」と、府中あたりの中央高速道路を走る自動車から見える風景が描かれている。自分で言いながら、照れくさくなるほど懐かしい。
次の府中は、マツダ本社のある府中でしょう。ロータリーエンジンを育んできた東洋工業(マツダ株式会社の前身)は、戦前から自動車を製造する名門企業。日本で初めてリトラクタブルライトを装備したサバンナRX-7には、大学の頃は強烈に憧れた。プロ野球球団の広島の正式名称は広島東洋カープで、その本拠地はMAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島だということは皆さんご存じだろう。
そして、広島県にはもう一つの府中市が県の南東部にある。新幹線の駅では福山駅の北西のあたり。地元の人には悪いけれども、ちょっと地味。何があるのかまったく思い浮かばないもの。この3つが私の選んだ日本3大府中。
ここでマツダ本社のある府中の話に戻るが、先日の中国自然歩道トレッキングは、この地でいったん離脱して、後日、トレッキングを再開した。記録のために離脱地点の住所をエクセルに入力しようとしたが、広島市府中と入力しても出てこない。そう、間違えていた。広島県安芸郡府中町だった。
気になって地図を見直したところ、この府中町、周囲をぐるりと広島市のみに囲まれており、どこに行くにも広島市を通過しないと外に出られない。広島市が周辺の町村を次々に合併編入して、1975年以来、府中町はレソト状態になっているのだ。
もし、府中町が広島市を怒らせたりしたらどうなるか心配になってきた。「広島風お好み焼き」とか「広島焼き」とでもポロリと言ったならば、相当に怒り狂う激しい性格で知られる広島人。「仁義なき戦い」の舞台になった広島の方々だ。「なんじゃ、ワレー」とか言いながら、府中町につながる道路に関所でも設置したらと、人ごとながら気にかかる。ま、そんなことはないか。