とりあえず、歩くか。晴れた日は星空の下で寝るのもいい。

週末の九州自然歩道のトレッキングや日常の雑感です。英語版のトレッキングログもこちら https://nayutakun.hatenadiary.com/  で公開しています。

津山、懐かしい

 タイトルには「懐かしい」と書いたが、じつは津山を訪れるのは始めて。この稿は、懐かしいと口からこぼれたその理由について記そうと思う。

 現在、中国自然歩道トレッキングは岡山県津山市の南南東25km、岡山市から北東に40kmぐらいの位置にある岡山県久米郡美咲町の周辺を歩いている。

 三咲町のあたりは、かつては町の中心を流れる吉井川の高瀬舟の水運で栄えた地方。明治時代からは、硫化鉄鉱の採掘される柵原(やなはら)鉱山が隆盛を誇り、柵原と南に10kmほどの山陽本線の和気、瀬戸内の海運の拠点の片上まで、採掘された硫化鉄鉱石と旅客を運ぶ片上鉄道が敷設されていた。

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柵原地区には現在も片上鉄道の施設が一部保存されている

 その後、柵原鉱山の鉄鉱石の産出量が減少するなどして片上鉄道は1991年に廃止となった。鉄道廃止後には柵原は公共交通機関の難所となっており、平日でも福岡からの同日最速到着時刻が14:05という、これまでの歩行地域では最も時間的にかかるところとなっている。

 ボトルネックとなるのが柵原までのバス路線。岡山から柵原まで北上するバス路線と、津山から南下して柵原に至るバス路線が選択できるが、いずれも本数が極端に少ない。そのため、今回は津山で3時間ほどのバス待ち時間ができることになった。

 バスの待ち時間に、津山にまつわる2つのイベントをすることにした。

 一つはブログの読者さんからのお勧めの、津山ではよく知られた「つゝや」の「五大北天まんじゅう」を食べること。店舗が津山駅からは3kmほどと少し遠いが、毎週末には30km近く歩いているので何のことはない。とうぜん歩き。

津山のメインストリート 今津屋橋通り

 津山駅から真っ直ぐ今津屋橋通りを北上すると「つゝや」はすぐに見つかった。落ち着いた佇まいの店。商品は「五大北天まんじゅう」のみ。潔い。

 5個購入。1個60円。断りを入れて店内を撮影させてもらった。店も、まんじゅうも、価格も、タイムスリップしたかのよう。

 「五大北天まんじゅう」の味は素朴。子供の頃から食べている、黒糖まんじゅうそのままの味。懐かしい味なのだ。これ、基本の味。死ぬ前に食べたいものスイーツ版の17位にランキングしておいた。

 さて、もう一つというのが、大学の先輩にご挨拶に伺うこと。これは、とても迷ったのだが。

 心中を正直に言うと、懐かしく、お目にかかりたい気持ちが40%。会うのが恐ろしい気持ちが30%。そして残りの30%は、津山に立ち寄りながら先輩に挨拶に行かなかったことが露見したならばどんな目に遭うか怖いという気持ち。合計したら、行く方に70%となったので、意を決して訪問した。

 その先輩というのが、大学に入学した際のラグビー部のキャプテンだった人。怖いのだ。

 今ではとてもあり得ない話だと思うが、大学に合格した3月の下旬、大学近辺を下宿探しのためにうろついているときに、このキャプテンと他の2名のラグビー部員に声を掛けられ、拉致されたのだ。

 大学に入ったらボクシングをしたいと思っていたが、ボクシング部はないからラグビー部に入れという。入部すると言うまで帰さないと、一人のラグビー部員の下宿に監禁された。下宿にはぞろぞろと人相の悪い部員たちが集まり、入部しますと言わされた。その日から連日1か月ほど3食無料で振る舞われた。結局、大学時代はラグビー部を務め上げてしまった。

 先輩の仕事場にはアポなしで訪問した。卒業してから何度かOB会でお目にかかっているが、今回は30年ぶりぐらいだ。受付で名乗ると、奥から出てきた先輩は「よく来てくれたな」と相好を崩して喜んでくれた。やっぱり来て良かったなと思った。

 とても元気にされていた。ラグビーをしていたときは驚異の体力だったが、現在でもトライアスロンのレースに出ているとのこと。すごすぎる。まったく当時と体型も変わっていない。でも、顔つきは当時よりもかなり柔和になっていた。

 先輩と会うと思い出すのが、1年生の秋のこと。風邪をひいて38.4℃の熱を出して大学を休んでいると、先輩が下宿まで迎えに来た。「走れば治る」と言われてグラウンドまで連れて行かれた。この日は2時間、走った。走って体温が発熱温度よりも高くなると、身体が楽になる現象を体験した。「走れば治る」というのはあながちウソではないかもしれない。真似はしない方がよいと思うが。

 コロナ禍の現在、「事務方からスタッフに発熱者が出たら自宅待機させろと言われるたびに、この言葉を思い出しますよ」と先輩に言うと、傍らで聞き耳を立てていた従業員の方を振り返って、「君たちは熱が出たら休まないといけないんだからね」とフォローしていた。

 これも思い出す。1年生の春のリーグ戦で、まさかの強豪校に勝ったときのこと。死ぬほど先輩から飲まされて、カウンターのマヨネーズでシャンプーされた。そのまま歩道でゴミ袋を枕に朝まで寝ていたこと。そんな話をすると、従業員の方をチラリと見た後、「そんな話はここでするな」と低い声で一言。一瞬だけだが、あの頃の顔に戻っていた。ヤバイ。やっぱり怖かった。

 20分ほど先輩の職場で、思い出、仕事のこと、現在のこと、いろいろ話をさせてもらった。玄関を出て、帽子を取って最敬礼してからトレッキングに向かった。玄関先で見送ってくれた先輩の目は潤んでいたような気がする。自分もあやうく落涙するところだった。バレないうちに慌ててサングラスをかけた。

 ああ、津山は懐かしい。

津山城のさくら祭りは翌日からだった