とりあえず、歩くか。晴れた日は星空の下で寝るのもいい。

週末の九州自然歩道のトレッキングや日常の雑感です。英語版のトレッキングログもこちら https://nayutakun.hatenadiary.com/  で公開しています。

津山文化センター

 先日、中国自然歩道トレッキングのために中継地の岡山県津山市に行ったときの話。いくつか用事を済ませ、少し時間ができたので、名城として知られる津山城に立ち寄った。

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さくら祭り開催を翌日に控えた津山城

 本能寺の変で討ち死にした森蘭丸の弟の森忠政津山市の中心の鶴山(つるやま)に築いた山城の津山城は、津山市のシンボル。姫路城、松山城伊予松山城)と並び、日本三大平山城とされているが、前2城とは異なり、津山城は明治の廃城令によって天守や櫓は失っている。現在は2006年に再建された備中櫓が建造物として見られるだけであるが、遺された石垣や礎石を眺めるだけでも当時の威容が想像できるほど巨大。

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遺された石垣はさらに巨大

 そんな津山城の遺構のある鶴山(かくざん)公園を歩いていると、公園の北に聳える櫓のような建物、それも四角錐を重ねて地中に突き刺したような迫力のある建造物が目に入った。これが津山文化センターだった。コンクリートで作られた建築物だが、石垣の上に聳える姿は、津山城の石垣を背景に違和感がない。誰が設計したのか気になる。

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津山文化センター

 家に帰って調べてみた。津山文化センターは1965年竣工の鉄筋コンクリート構造の建築物で、設計は川島甲士建築設計研究室。施工は三井建設大阪支店。

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 この建築の最大の特徴は、日本の伝統的木造建築でも見られる斗栱(ときょう)構造に取り巻かれていること。斗栱とは「斗(ます)」と「肘木(ひじき)」で構成される組み物の構造で、軒が支える荷重を柱に伝えるように設計されている。この日本の伝統的な建築に見られる独特な形式をコンクリートで再現し、かつ1段、2段、3段と前方にせり出していく迫力のある姿にデザインしている。

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斗栱をもつ伝統建築の例

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この部分の構造

 戦災を受けていない津山の市街には、古い城下町の面影が残っている。津山城趾に天守閣を再建しようという活動が行われたこともあったらしいが、識者に否定されたようだ。そのかわりにというわけでもないだろうが、「われわれの集会場がほしい」という津山のご婦人たちの願いを端に発して、津山市民上げての基金で津山文化センターが建てられた。天守閣もいいが、それに代わる津山市民の心を集めるモニュメントとしても成功した建造物だと感じる。やもすると冷淡にも感じられる現代建築の手法を取り入れながらも、歴史ある津山城趾の情緒と品格を損なうことのないデザインに感嘆する。

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 勉強不足で恥ずかしい限りだが、川島甲士という建築家の名前は今回初めて目にした。経歴を調べてみると、1949年に早稲田大学理工学部建築学科を卒業し、清水建設設計部等を経て、芝浦工業大学建築科の助教授を務めながら1957年に事務所を設立している在京の建築家。

 津山文化センターは川島甲士の40歳の時の作品で、日本国内の優秀な建築作品に与えられるBCS(Building Contractors Society)賞を受賞している。他の作品としては、同じくBCS賞を受賞した「西都原考古資料館」(1968)、「宮崎県営国民宿舎・青島」(1970)があるが、両者ともにすでに取り壊されてしまっている。その他には、東京都台東区の妙経寺、多摩市民センター、宮崎県婦人会館(ユースホステルサンフラワー宮崎)あたりが代表作のよう。機会を得たらじっくり見学してみたい。