とりあえず、歩くか。晴れた日は星空の下で寝るのもいい。

週末の九州自然歩道のトレッキングや日常の雑感です。英語版のトレッキングログもこちら https://nayutakun.hatenadiary.com/  で公開しています。

2020年9月19日 九州自然歩道 49日目 藪漕ぎ上等南阿蘇外輪山 熊本県阿蘇郡高森町高森中央~高森町清水峠

 今回の九州自然歩道は、阿蘇カルデラの内部の南端にある高森町からの再開。自宅から高森からはバスを乗り継いで5時間近くかかるため、金曜夜から同地の民宿に前泊となった。本日は5:00に起床し、高森の市街地を散策してから朝食を頂いて7:48に出発。カルデラの中だが、標高は550mからのスタート。

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高森湧水トンネル

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今日は阿蘇山がきれいに見える

 高森の町はずれまで来ると阿蘇山がきれいに見える。先週は雨の中だったから、青空をバックにした阿蘇の風景が目に沁みる。8:10には高森の東の村山集落に到着し、ここから黒岩峠に向かう山道に入る。

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もうヒガンバナが咲いている 秋だ

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村山集落からの山道 正面が清栄山

 高森から黒岩峠に向かう道は牧草地の中の舗装路。緑の芝生に白いカーペットを敷いたような道路で、快適に高度を上げる。牧草地には数頭の牛がのんびりと草を食んでいる。

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牧草地の中の道を歩く

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 9:09に黒岩峠に到着。標高は870m。ここから西に高森峠に向かって進もうと思っていたところ、ちょうど清栄山(せいえいさん、1006m)への登山道を整備している高森オールドボーイズから、清栄山の登山道の草取りが半分位できたから上ったどうかと声をかけられた。今日は距離が長いから困ったなと思いつつも、そういわれたら登らないわけにはいかない。黒岩峠に荷物を置き、山頂まで走って登った。コースタイム上り30分のところ15分、下り20分を9分。黒岩峠ではオールドボーイズが早かねーと褒めてくれた。

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黒岩峠では清栄山の山道の整備中

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根子岳

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阿蘇山

 黒岩峠で小休止の後、本日の本来のコースの南阿蘇外輪山コースを西に向かって9:52に進み始めた。カルデラの外輪山の稜線に沿って、最初の目標は3.3km先の高森峠。柵を乗り越えて牧草地に進む。阿蘇山を眺めながらの草原の中の心地よい道と思ったのは最初だけ。進むにつれて、道が見えないほどの藪になっている。外輪山の辺縁を歩くため、右側は崖だが、背丈より高いススキに覆われており、前に進めない。足を踏み外すと崖に落ちそう。また、ススキの中にアザミが生えていて棘がズボンの上から容赦なく刺す。半袖の上腕はススキで切れて切り傷だらけ。汗がしみる。フラフラになりながら11:00に高森峠(872m)に到着。ここで福岡から持参の果物を昼食として食べた。

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道があれば草原の中の心地よい道

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草原の景色は最高

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藪漕ぎは大変

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道があれば最高

 11:30から行動再開。高森峠の標識が倒れており、登山道の入り口がわからない。地図に従って入り口を探すが藪に覆われており見つからない。やむなく牧草地の柵を開けて進む。道はなく、牛が歩いた後なのか、深い溝が掘れている。50mほどの標高差の牧草地を登り切ったところで九州自然歩道の標識を発見。登山道は見つからなかったが、結果はオーライ。しかし、この先も道は見えず、ときどき草に隠れた標識が現れるだけ。全力で藪漕ぎして先に進む。とくに外輪山のエッジに沿ったところの藪は深く、ススキとアザミで身体中傷だらけ。1.9kmの行程に1時間半かかり、13:03にようやく中坂峠(830m)に到着。藪漕ぎは体にこたえる。30分休憩し、13:30に行動再開。

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ここから突破

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道は、ない

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道があったら最高

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こういうところは地獄

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ときには牛と鉢合わせ

 次の目標は2.1km先の崩土峠。中坂峠からの登山道は入り口こそ藪に覆われていたが、意外と草が短く歩きやすい。コースタイムどおり、60分で標高880mの崩土峠に到着した。

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山中の太陽光発電施設

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このぐらいなら道がなくても歩く

 次は1.6km先の長谷峠。ここは最初から藪漕ぎの連続。まったく道が見えず、藪が深すぎて前に進めないため外輪山の外側にエスケープ。本線がどこか不明のままグルリと南に大きく迂回して1時間以上かけて15:40に長谷峠に到着。

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いきなり入り口からこうだとやる気がなくなる

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このアザミが凶暴

 この先は2.0km先の清水峠。ここも藪オンリー。もうどこからでもかかってこいの気分。道があろうがなかろうが、地図のとおりに真っすぐ進む。腕も足も傷だらけ。わずか2kmに1時間半以上かかり、17:18にようやく清水峠(920m)に到着。

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もう、藪漕ぎ上等

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倒木だって気にしない

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誰かが落とした弁当のミニトマトかと思ったらキノコ

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こんなのは藪のうちに入らなくなった

 そろそろ暗くなってきたので、本日の野営地を探さなければならない。清水峠からは、その先の無線中継所までサービス用の舗装路が続く。20分ほど歩いたところで根子岳を正面に望む草地を見つけて、本日はここでビバーク。標高はちょうど1000m。南阿蘇外輪山の藪漕ぎの1日だった。

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正面が根子岳

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2020年9月19日 九州自然歩道 50日目 熊本県阿蘇郡高森町高森中央~高森町清水峠 曇り 気温24/13 距離19.6km 行動時間9:49 平均速度2.1km/h 40368歩

ミズヒキ

 小さな赤い花を多数つけたこの花の名を聞いたのは、2017年10月7日に福岡市植物園で行われた秋の植物観察会の折り。路傍でよく見かけるこの花の名を尋ねた際の学芸員の方の返答がこれで、その命名の妙に思わず「座布団二枚」と声が出てしまった。

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 ミズヒキ(水引、Persicaria filiformis)は、タデ科イヌタデ属の多年草。半日陰の林や道ばたで普通に見かける。茎の先端から数本の長い花茎を出し、上半分が赤色で下半分が白い小さな花序をらせん状に互い違いにつける。

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 和名の由来は、赤と白に染まる花弁を多数つけた細くて長い優雅な花穂を、祝儀袋や進物にかける水引にたとえたものと言われるが、まさにその通り。

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 開花期は8〜11月頃。日本にはほぼ全土に分布し、国外では中国、ヒマラヤに分布する。

 刺身盛りなどに一緒に添えられているツマとして、タデ科イヌタデ属のヤナギタデの変種のベニタデをよく目にするが、これは近縁種。蓼(たで)食う虫も好き好きというが、タデには複数種の精油が含まれており、薬味や蓼酢として料理に使用される。

ゴミの問題

 山を歩いていると、不法投棄されたゴミをよく目にする。人里からほど近いところが多い。幹線道から林道にすこし入った斜面で、木々や藪で隠れているところに廃棄されている傾向がある。

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 不法投棄には自治体も対応に苦慮しているのだろう。不法投棄を警告する立て看板はところどころで目にする。ゴミの内容から当事者を探し出して処理代を請求するぞ、と警告する看板も見たことがある。深刻な状態だ。

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 昭和四十六年政令第三百号の「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」により、罰則(5年以上の懲役もしくは1千万円(法人は3億円)以下の罰金またはこれらの併科)を課せられることもあるのだが、いまだに新しい看板が建てられているのを見るということは、不法投棄が根絶してはいないことを示している。

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 話題が変わるが、最近は、たとえば公園や公共施設でも、ゴミを持ち帰るように求める案内を目にする。そもそも公園等の公共の場所のゴミ箱が撤去されていることも多いような気がする。

 駅などでもそうだ。私の記憶では、911テロの後、所有者の分からない不審物に対する注意喚起がなされるようになったのと時を同じくして、駅のゴミ箱も使用できなくするような処置を施されるケースが増えてきた。いまでは構内に1カ所もゴミ箱がないという駅も珍しくなくなってきた。

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以前はゴミ箱として使われていた駅のゴミ箱に蓋がされている

 ゴミ箱に関連するセキュリティの問題だけではなく、環境意識の高まりや、ゴミ処理に対するコストの問題や、人手の問題などもあるだろう。高速道路のサービスエリアでは、家庭ゴミの持ち込み厳禁と明記されている。キャンプ場などでも、ゴミは持ち帰りましょうと案内されていることも多い。駐車場に面した外部にゴミ箱を設置していたコンビニでも、最近は店舗の中にゴミ箱を移動していることが多い。

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最近は店舗前にゴミ箱を置いていることの方が少なくなってきた

 ところが長期間のトレッキングをしていると困るのが、ゴミの問題。食料のパッケージや果物の皮などのゴミが次第に増えてきて、バックパックの中で大きな容量を占めてきてしまう。

 家でトレッキング中の食料を準備する際には、外装の袋から取り出して1食分ずつジップロックに詰めるなどしてゴミが出にくいように工夫しているのだが、数日にわたるトレッキングになると、ルート中にある店舗で食料を購入して、補給を行うこともある。トレッキングのコースをあらかじめ検討してみて、このあたりで食料が購入可能と思われる場合は、携行する食料を減らして、荷物の重量が軽くできるので、トレッキングが快適になるのだ。

 店舗で購入したばかりの食料は、たいてい外装や個別包装があるため、ゴミの量も増えてくる。しかし、山の中はもちろん、市中でもゴミ箱がなくなってきている。街の中で暮らしているときにはまったく気にならなかったが、山の生活が長くなると、ゴミ箱がないということが気になり、困ったこともおきてきた。

 ゴミ箱が町にないと、トレッキング中は食事のたびに発生するゴミをずっと持ち歩くことになってしまい、最終日にはかなりの量になる。数日分の食料の入った重いバックパックを背負うのはもちろん身体に応えるが、それらを消費した後のかなりの重さとかさのあるゴミをバックパックに入れたまま人通りのある町を歩くと、重さ以上に心に堪える。

 これがトレッキングの際のもう一つのゴミの問題だ。

 正直に言ってしまおう。トレッキング中に大きな荷物が気になった人から声をかけられ、「福岡から歩いているんだ、すごいねー」とか言って缶コーヒーを渡されたことがあるが、もらった瞬間に空き缶のことが気になって仕方がなかった。

 「すごいねー」のあとに「ところでゴミがあったら持って行こうか?」と付け加えてくれると、神に見える。

立野のスイッチバック

 テツ分の少ない私でも、スイッチバックと聞いたら心拍数が3回/分ぐらい上昇する。スイッチバックとは、本来は急な斜面を登るためにジグザグに設置された道路や鉄道線路のことであるが、そのレアな存在とマニアの熱狂度から、スイッチバックときたら鉄道のスイッチバックを想像する方が多いと思う。今回は阿蘇カルデラの内部をトレッキングするために豊肥本線阿蘇駅に行く途中で経験できた立野のスイッチバックのはなし。

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 熊本から大分をつなぐ豊肥本線は熊本を出た後、阿蘇の外輪山を越えてカルデラ内を横切ってから大分に至る路線である。山間部を通る路線のため、豪雨や土砂災害の影響を受けやすく、これまで何度も大規模災害による不通期間を経験してきている。

 最近では、2012年7月12日の九州北部豪雨で橋梁などが流され、2013年8月4日の復旧まで1年以上を要している。しかしその後には2016年4月に熊本地震が発生し、2か月後には豪雨災害も発生し、路盤が流されるなどの被害が出て肥後大津駅阿蘇駅との間の27.3kmが2年以上にわたって不通になっていたが、2020年8月8日に全線の運転が再開している。

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2020年8月8日に三角線に乗車する際にたまたま通りかかった

 豊肥本線は、肥後大津駅を出ると外輪山が一か所だけ低くなった立野駅に向かう。この駅が非テツ系の私でも知っている立野のスイッチバックのあるところで、まっすぐには乗り越えられない峠を、2回折り返して標高を稼いで阿蘇カルデラの内部に進んでいく。

 鉄道は鉄製の軌道の上を鉄製の車輪で走るため、あいだに働く摩擦力が小さく、勾配が苦手である。立野駅の周囲の線路の勾配は、線路脇の標識を見ると33.6‰(パーミル)。1000m進むごとに33.6m登ることになる。角度に直すとわずか1.9°なのだが、ここらあたりが鉄道の限界。例外はあるが、日本では普通の鉄道に設定できる勾配は最大で35‰と決められているため、立野駅にはスイッチバックを設置することになる。

 立野あたりでは国道57号線が並行して走っているが、自動車は200‰(11.2°)ぐらいの坂でも難なく登ることができるため、ここまで自動車に伍して走ってきた豊肥本線の列車は、ここで一気に抜き去られてしまう。ちなみに一般的な乗用車の場合、最大登坂能力は500~700‰(26.6°~34.6°)で、四輪駆動車には最大登坂能力が1000‰(45°)を越えるものもある。

 今回、阿蘇カルデラの内部を縦走するために豊肥本線に乗車したのは、2020年8月12日5:44肥後大津発の豊後竹田行きの始発列車。肥後大津駅での乗客は自分を含めてわずか6名。二人組の女性はどこから見ても非テツ系で左後方のボックス席に座った。最前方の親子連れはちょいテツと思われ、眺望が良い右のボックス席に陣取り、出発前に前後左右のカーテンを開けて準備開始。最後に乗車した30代後半とみられる男性は時刻表を右手に持ったガチテツ系。私の一つ前の右側のボックス席に座り、カーテンを開けて時刻表を睨み始めた。

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5:44 肥後大津豊後竹田行き始発列車

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出発前にはカーテンが閉まっていた

 定刻の5:44に肥後大津駅を出発し、次の瀬田駅を過ぎたあたりから列車のディーゼルが唸り始める。右手には国道57号線が並行して走るのが見える。5:59に時間どおりに立野駅に到着した。

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豊肥本線と並行して走る国道57号線

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5:59 立野駅に到着

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 立野駅では5分間の停車。この間に私を含めた男性4名はホームに降りて写真を撮ったり、忙しそうに動き回る。ボックス席に座った非テツ系の二人組の女性は、何事かと不安そうに周囲を見回している。

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 ワンマン列車の運転士さんは、ホームの上を歩いて反対側の運転席に行き、定刻どおりの6:04に逆向きに発車した。

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左が肥後大津からの線路

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しばらく逆向きに走って停車

 しばらく坂を登って停止する。男性はまたもやカメラを持って車内を前後に動き回る。非テツ系の女性たちは不安そうにボソボソ何か言っている。運転士さんは今度は車内を歩いて元の運転台に戻り、再び初めと同じ進行方向で発車した。たったそれだけのことだが、やはり新鮮で、非テツ系の私でも楽しめるイベントだった。

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運転士さんが元の運転台に戻る

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前方にはスイッチバックの分岐が現れる

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折り返しながら高度を上げていく

 列車はその後、赤水駅市ノ川駅内牧駅を経て、6:36に定刻どおり阿蘇駅に到着。雨の中をカルデラ内の縦走のために歩き始めた。

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地震のために掛け替えられている阿蘇大橋の横を通る

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カルデラの内部は平ら

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雨の中を阿蘇駅に到着

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列車を見送り駅舎の中に

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阿蘇駅の立派な駅舎

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正面には阿蘇山

 じつは、立野のスイッチバックは2014年8月17日にも経験している。このときは夏休みで子供連れの乗客が多く、あまりしっかり観察をすることができなかった。今回は始発列車で、乗客が少なかったこともあり、薄暗く、雨だったことはあるが、隅から隅まで堪能できた。

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前回の豊肥本線の旅の時には前の阿蘇大橋があった

 九州にはもう一か所、有名なスイッチバックがある。それは、熊本県八代駅から人吉駅を経由して鹿児島県の隼人駅までを結ぶ肥薩線大畑駅。ここはループ線もあり、日本三大車窓矢岳越えもありと、非テツ系でも興奮してしまうルート。場所が場所だけにまだ乗ったことがない。うまくいけば、あと1か月ぐらいでこのあたりはトレッキングで通過する最寄りの駅になる予定だったので、乗車する機会があるかもと思っていたのだが、2020年7月4日からの豪雨で肥薩線は甚大な被害を受け、八代-吉松間の86.8kmは復旧の見込みすら立っていない。

 九州の鉄道は、肥薩線だけでなく、久大本線日田彦山線南阿蘇鉄道肥薩おれんじ鉄道くま川鉄道など、軒並み災害のために不通区間を抱えてしまっている。ちょっと神様厳しすぎるぞ、と文句を言いたい。

ドクダミ

 家の前の草取りをしていると、隣のアパートから若い男女が出てきた。おそらく大濠公園にでもジョギングに行くのだろう。二人ともTシャツに短パン姿で、さて走りましょうかという出で立ちだった。

 草取りをしている私を見て、山積みになった雑草を指さしながら、女性がこう尋ねた。「コレモラッテイイデスカ?」

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 「いいですよ。大濠公園から帰ったら持って行って下さい。」と答えてから、「どちらから?」と尋ねると、すぐに「ベトナム」と返ってきた。「シンチャオ Xin chào」と唯一知っているベトナム語で挨拶をすると一気に距離が近づいた。

 昨年の5月に夫婦で日本に来たこと、近所にはまだ知り合いがいないこと、今年は故郷に帰れそうもないこと、などなど。「サンポノカエリニ、クサヲモラッテイキマス」と言いながら、大濠公園に向かって走っていった。

 その草というのがドクダミ(蕺草、蕺、Houttuynia cordata)。ドクダミドクダミ属の多年草。日本から東アジアに広く分布する。やや湿った日陰を好んで繁殖する。我が家の玄関は北向きで繁殖の適地。どんなに頑張って抜いても、しばらくすると残った地下茎から次から次へと顔を出す厄介者。

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 深緑色の葉とコントラストのある4枚の花弁をもった白い花をつけるように見えるが、花弁に見える部分は苞(ほう、蕾を包む葉が変形した部分。とくに花序全体を包む形のものは総苞という)。本当の花の部分は、白い総苞の上の2cmほどの穂のような形の花序に小さな黄色い花が密生しているところ。しかも、この花には雄しべと雌しべしかなく、花弁そのものはない1)。それでも離弁花に分類されているのは学生のころから謎のまま。ちなみにスミレのように花弁が1枚1枚離れているものが離弁花で、アサガオのように花弁がくっついているものが合弁花。

 ドクダミが知られているのは、夏にしか咲かないこの花よりも、独特な臭いによるだろう。密生したところからは、そよと風が吹くだけでドクダミと分かる臭気が漂う。

 そんな臭いとは裏腹に、ドクダミは有用植物である。胃腸病、食あたり、下痢、便秘、利尿などに対する様々な薬効を持ち、民間薬として古くから使われている。ドクダミ茶は健康食品としてよく目にするし、「はとむぎげんまいつきみそう♪どくだみはぶちゃぷーあーる♪」の歌で知られる爽健美茶にも使われている。臭いの成分はデカノイルアセトアルデヒドDecanoyl acetaldehyde C12H22O2やラウリルアルデヒドLauric aldehyde C12H24Oなどで、抗菌作用や抗真菌作用を有する2)

 ベトナム料理では、魚料理の香草として使われるようだが、彼女たちは何に使うんだろうかと思いながら、目につく限りのドクダミを摘み取っておいた。

 

   参考文献

  1. 矢野佐・石戸忠:原色植物検索図鑑 第18版、北隆館、1980.
  2. Wikipediahttps://ja.wikipedia.org.wiki.ドクダミ

【症例報告】歩行が原因と思われる両側足趾の爪甲下血腫の症例

   はじめに

 爪甲下血腫(そうこうかけっしゅ)subungual hematomaとは、外傷によって血液が爪甲と爪床の間に貯留する障害である1)。典型的には、軽微な修復作業を実施するような際に打撃工具にて金属釘を嵌入しようとするときに誤って指の爪甲部を傷害したり、家人の求めにて重量物を運搬する際に誤って足趾に落下させたりして発症する。稀ではあるが、12月後半に超低アミロースの糯性の米を木製ハンマーで連続打撃を行うイベントの際に、撹拌を担当する者の手指に生じることもあるため、例年この時期には注意喚起がなされている。

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 通常は、外傷に伴う拍動性の疼痛が生じ、次いで爪甲下部の青黒色への変色が生じる。急性の場合は、爪甲穿孔術を行って貯留した血液を排出することで疼痛の緩和を図る場合もあるが、血液が凝固した後ではこの術式は有効でないことから、実施例は少ないようである。経過としては、爪の成長とともに変色部位は先端に移動し、最終的には爪甲の剥離や一時的な脱落を来した後、再生した爪によって置換されることが多い。

 今回は、目立った外傷の既往がないにもかかわらず、両側の足趾に爪甲下血腫を発症した症例について報告する。 

   症例

 症例は50歳代の男性。非喫煙者で、特記すべき基礎疾患はない。これまでに悪性黒色腫の既往はない。症例報告に際しては、研究報告の趣旨を説明し、文書によるインフォームドコンセントを得ている。

 症状の発生を最初に認知したのは2020年7月26日である。入浴をしようとして靴下を脱着した際に、足趾に変色が生じていたことに気が付いたとのことである。左側の第4趾には爪甲下血腫と思われる黒色の変色、拇趾に広汎ではあるが軽度の変色を認めている。また、右側の複数の足趾にも軽度の変色を認めている。足趾には軽度の疼痛を自覚し、水浴の際にその症状は顕著であったという。ただし、この日は両側の足趾には外傷性水疱(肉刺、まめ)traumatic blistersも発生していたため、疼痛の原因部位は特定できていない。症状発現の1週間以内には外傷の受傷既往はなかった。

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 次回観察時の8月23日には、左側拇趾には明らかな黒色の変色が生じていた。左側第4趾の変色は減退をみていた。右側の第2趾、第4趾にも爪甲下血腫と思われる黒色の変色が生じていた。両側とも足趾の変色部には疼痛を認めなかった。

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 最後の経過観察となった9月4日においては、左側拇趾、右側第2趾、第4趾の変色が認められたが、他部位の変色は軽度か、限局的なものであった。いずれの変色部位にも疼痛は認められなかった。同部には歩行時の疼痛や、局所の圧痛も認められないため、このまま経過観察を行うこととし、症状に著変が認められた場合に対応を考慮することとした。

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   考察

 爪甲下血腫は、爪甲に加わる外力によって爪床の皮下にある血管に破綻が生じ、爪甲と爪床との間に血液が貯留することで生じる疾患である。通常は患部に対する打撲や物体の落下などの強い外力が作用した後に生じる。本症例においては、患者に自覚された外力の作用は認められず、爪甲下血腫を発症するに至った原因を探索することが、今後の同症状の再発を未然に防ぐカギになると思われる。

 足趾に変色が生じていたことに気が付いた初回の観察を行った7月26日以前の患者の行動の聴き取りを行った結果、7月24日から7月26日までの3日間は連続して熊本県天草市より上天草市まで山中歩行を行ったとのことであった。同期間の天候を調べたところ、いずれも雨であった。

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山中歩行時の状況

 雨中の歩行においては、外傷性水疱の予防のためには靴下の乾燥を保つことが重要で、雨によって水分を得た場合には可及的に早期に交換を行い、常に乾燥した靴下を着用するようにすべきとされている2)。本症例の場合は、3日間の雨中歩行にもかかわらず、1回も靴下の交換を実施していなかったとのことであった。このため、外傷性水疱の形成もみていたが、同時に爪下血腫も発症したのではないかと思われる。

 長時間歩行を行う場合は乾燥した適度の厚さを有した靴下と、適度なクッション性能を有した中敷きを使用することが推奨されている2)。これは、歩行によって発生する外力を分散し、繰り返し特定の部位に発生する摩擦刺激を軽減することにより、外傷性水疱の発生を防ぐためとされている。靴下に含まれる水分と摩擦との関係は明確ではないが、繊維内に配置したH2O分子が繊維間の結合を増強することにより、繊維内の空気を排除することになり、靴下のクッション性が喪失するのではないかと推察される。

 トップアスリートの場合は爪甲下血腫の発生はパフォーマンスを低下させるため、十分な予防処置をとり、兆候が見られたならば適切な対応を行うとされているが、本症例は競技実績など皆無な一般人であり、またその歩行についても何ら目的を有するものでない。爪は1日に0.1mm程度成長伸長することが知られているため1)、自然治癒を待つこととし、可及的に乾燥した靴下を着用するよう保健指導を実施した。

 

   参考文献

  1. 西川武二監修:標準皮膚科学第8版、医学書院、351-353、2007.
  2. 村上宜寛:米国ハイキング大全、PEAKS編集部、290-293、2018.

 

   要約(Kumamotian訳)

 三っ日も雨ん中を天草の山ん中をほっつき歩いとったら足の爪が死んだげな。馬鹿んごとしよるね。そんあいだ一回も靴下ば替えんやったと?そぎゃんこつしよったら、そりゃ臭かろうね。

2020年9月12日 九州自然歩道 48日目 熊本県阿蘇市阿蘇駅~阿蘇郡高森町高森中央

 今回の九州自然歩道は、熊本県阿蘇市にある豊肥線阿蘇駅から再開。ここから阿蘇五岳の間を通る日の尾峠を抜けて阿蘇カルデラを北から南に縦断する。

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豊肥線阿蘇駅に到着

 日曜日に仕事が入ってしまい、歩くことができるのは実質的に9月12日の土曜のみで、また豊肥線は運行数が少なく九州自然歩道の再開地点まで乗り継ぎが4回ほど必要で、福岡から5時間近くかかってしまうので、今回は金曜の夜から豊肥線の駅のある熊本県菊池郡大津町に前泊。これからこんな旅程が多くなりそう。それだけ旅情も味わえるが、だんだん遊び以上のものになってきた。

 豊肥線阿蘇駅には6:36に到着。乗客は6名で、阿蘇駅で下車したのは自分一人だけ。あいにく結構な雨が降っている。立派な駅舎の中で上下の雨具と、ゲイターを装着して出発。駅の正面には阿蘇山が聳えている。

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阿蘇駅

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駅の正面にはドーンと阿蘇山

 駅からは国道57号線を東に進み、1kmほどで国道を離れ、蔵原集落の中に進み九州自然歩道に復帰した。蔵原のはずれにはソバ畑が白い花の満開を迎えている。

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しばらく国道57号線を歩く

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蔵原の街の中を進む

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ソバ畑が現れる

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ソバの花が満開

 4kmほど進んだ豊肥線宮地駅の近くのジョイフルで朝食とした。本来は宮地駅の手前で南に折れて仙酔峡を経由するように九州自然歩道の本線は進むのだが、6年前の豪雨の後に本線は通行不能になっている。今回は宮地駅を過ぎたところから分岐する九州自然歩道の支線を使ってカルデラを縦断することとした。

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久しぶりのお米の朝ご飯 美味しい

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宮地駅

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九州自然歩道の支線に入る

 雨は降りしきっており、阿蘇山はほとんど雲に隠されている。幸い、支線の道路状況は良好で、雨の中を快調に高度を上げていく。

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雲で阿蘇山が見えなくなった

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雨は休まず降る

 宮地から支線に入って1時間ほどの9:16に、本線と合流する桜ケ水に到着した。地図を見ると、本線は仙酔峡から桜ケ水に向かう道の2カ所で崩落しているよう。草原の中に気持ちのよさそうなコースが見えているので、いつか歩けるようになったら歩いてみたいなと思いつつ先に進む。

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桜の水からは仙酔峡からの草原の道が見える

 ここからはススキの原の中の舗装路を進んでいく。いかにも阿蘇という風景。時折横切る谷川には土砂が堆積し、土石流の痕跡が残されているようだ。

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草原の中の道が心地よい

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土石流の痕跡か

 阿蘇五岳の中を横切る日の尾峠の標高は990m。現在は880mほどまで上っているが、なだらかな阿蘇の山並みのためか、それほどの高度を感じない。東の方やカルデラの北の方は時折日が差しているようで、振り返ると眩しい緑が目に入る。

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外輪山やカルデラの中の家々が見える

 日の尾峠まで1kmほどの辺りに阿蘇高岳への登山口があったが、残念ながら現在は火山活動のためにこの登山口は立ち入り禁止。また、根子岳へのルートも崩落している箇所が多数あるので注意するようにとの案内がある。

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 ほとんど休憩せずに進んだこともあり、予定よりも1時間ほど早い10:30に日の尾峠に到着。ここから先も、舗装状態は良好で、道の両側には放牧された牛が遠くにチラホラ見える。道路には牛の通行を阻止するためと思われる金属製のメッシュ状の通路やゲートがいくつか現れた。

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日野尾峠を通過

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牛の脱走防止か?

 11:10には峠から4kmほどの鍋の平キャンプ場に到着した。ここは芝生の心地よさそうなキャンプ場。今回はテント泊するつもりはないが、水場やテントサイトの状況などを確認しておく。鍋の平にはカフェがあるようだったので、営業していたら休憩しようと思っていたが、残念ながら閉店してしまっていた。

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鍋の平キャンプ場

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カフェは閉店していた

 かくなるうえは、昼食にはゆっくり時間をかけて名物の高森田楽でも食べようと歩みを進め、12:00に高森田楽村に到着した。予約なしでも食べられるとのことで、雨具を脱いで畳敷きの囲炉裏の傍に陣取った。高森田楽は、この地区でしか採れない名物のつるの子芋や、豆腐、こんにゃく、ヤマメなどを炭火で炙って、みそダレをつけて食べるもの。たまたま手が空いていた店主が丁寧に時間をかけて焼いて出してくれた。高菜ご飯とだご汁もついていたが、高菜ご飯が最高に美味しかった。

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高森田楽村

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囲炉裏で炭で焼いて食べる田楽

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高菜ご飯とだご汁も美味しい

 昼ご飯の田楽にはたっぷりと1時間以上かけ、晴れ間が見えるようになった13:20に田楽村を出発した。目指すは露天風呂の真正面に阿蘇の山々が見えるという月廻り温泉。歩き始めてしばらくするとまたもや大粒の雨が降り出してきたため、せっかく乾かした雨具を再度装着して歩き始めた。結局、3kmほどに1時間ほどかけて歩き、14:20に月廻り温泉に到着した。

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高森のラクダ山

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月廻り温泉に到着

 月廻り温泉は評判通りの素晴らしい景色の温泉。露天風呂からも、室内湯からも、根子岳高岳などの阿蘇五山が真正面に見える。お湯もトロトロで心地よい。1時間ほどゆっくり入浴し、もう一回雨具をたたみ直してバックパックに詰めて、帰りのバスが出る高森に向かって歩き始めた。

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根子岳が正面に見える

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頭は雲の中だが、高岳も見える

 この頃になると、根子岳高岳の頭を隠していた雲がかなり減り、きれいな山容が見えてきた。高森の中心街に入る直前には、道路の正面に阿蘇高岳が見えてきた。大学1年の時に、熊本出身の同級生が、「阿蘇はまーーーごつふとかっぞー」と自分の家の裏庭のように自慢していたが、熊本県人が自慢する気持ちが少し理解できた気がする。

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道路の正面に阿蘇山がドーン

 16:10に高森中央のバス停に到着し、300mほど先の高森駅まで足を延ばした。ここを走っていた南阿蘇鉄道高森線は、2016年の熊本地震以来、熊本方面につながる立野との連絡を欠き、全10駅中のうち終点の高森から4駅先の中松間までで運行している。かつては国鉄の高森線で、高千穂を経由して宮崎県の延岡まで連絡する九州横断鉄道となる予定だった夢のある路線だっただけに、現在の状況には忸怩たる思いがありそうだ。

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高森駅の駅舎

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2020年9月12日 九州自然歩道 49日目 熊本県阿蘇市阿蘇駅阿蘇郡高森町高森中央 雨のち曇り 気温29/22 距離23.0km 行動時間6:30 平均速度3.3km/h 39351歩