とりあえず、歩くか。晴れた日は星空の下で寝るのもいい。

週末の九州自然歩道のトレッキングや日常の雑感です。英語版のトレッキングログもこちら https://nayutakun.hatenadiary.com/  で公開しています。

ムラサキシキブ

 ムラサキシキブ紫式部Callicarpa japonica)はシソ科ムラサキシキブ属の低木。6月ごろに控えめなうす紫色の花を付けるが、秋になると直径3mmほどの多数の球形の果実を付ける。その艶やかな紫色の美しい果実が、紫式部の名の由来であろう。山野に自生している個体もあるが、観賞用に庭で栽培されているものも多数見かける。

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阿蘇 高森の民家で見かけたムラサキシキブ

 その名の由来となった紫式部平安時代藤原道長の頃の女流作家。もっとも、この頃は女流作家という概念はほとんどなかったのではないかと思うが。残念なことに生没年は不詳。父親の転勤に伴って地方に引っ越したことや、ずいぶん年上の男性と結婚していたことなどが、彼女の生活史として知られている。

 小倉百人一首には彼女の歌が採用されている。

 「めぐりあひて 見しやそれとも わかぬまに 雲がくれにし 夜半の月かな」

 久しぶりにめぐり会った彼が、本当に彼かどうかも分からない間に帰ってしまったと、夜空の月が雲に隠れるのを例えて寂しさに嘆息する、少し控えめな恋歌かと思ったら、越前に赴任する父親について行って寂しい思いをしていたところ、久しぶりに再会した幼友達と積もる話もできずに帰られてしまった寂しさを詠んだ歌で、どうも恋愛絡みではないよう。紫式部らしくない。都会育ちの紫式部は、地方暮らしの寂しさには耐えかねたようで、1年ほどで京に帰ってしまっている。

 百人一首では、「め」で始まる札がこれのみであるので、覚えておくべき1枚。私は畳の上に並べられた札の中から、まず、くもがくれにし、を探すことにしている。

 紫式部の作品で最も有名なものはもちろん源氏物語道長の娘の彰子の家庭教師をしながら完成させた54帖からなる大部の小説。1008年頃に完成したとされている。

 1帖の桐壺の冒頭は、次のように始まる。

 いづれの御時にか、女御更衣あまた侍ひ給ひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれてときめき給うありけり。

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 源氏物語で思い出すのは、下関在住の小説家である田中慎弥。彼は何度も芥川賞の候補になりながらもなかなか受賞に至らず、ようやく2016年に受賞した。受賞会見の際に、「断ったりして気の弱い委員の方が倒れたりしたら、都政が混乱するので、都知事閣下と東京都民各位のために、もらっといてやる」と、気弱そうなルックスに似合わない、選考委員の石原慎太郎を挑発するような過激な発言を行ったのが、何度もテレビで放映されたので鮮明に記憶に残っている。

 彼は受賞の時期の前後に新聞に小文を載せていた。たしかこんな内容だった。これまで働きもせず何事も成していない自分であるが、電車に乗っていた時に、この車両には源氏物語を原文で2回も読んだ人間は自分だけだろうと思うと、自らの存在を確認することができたと。これ以来、源氏物語ときけば田中慎弥と連想するようになってしまった。

 そしてこれ以来、電車に乗るたびに、この車両で自分だけにできることは何だろうかと考えるが、田中慎弥のようにストンと腹に落ちてくるものはいまだに見つからない。