はじめて寄席に行ったのは、大学1年生の冬だった。訪れたのは池袋演芸場。池袋北口の木造の建物だったように記憶している。階段を上がったところの客席は畳敷きで、寄席というのはずいぶん古くさいところだなと思った。
当時の落語はあまり人気のない時代だったのではないだろうか。お客さんは少なかった。私が客席に入ったときには、先客は畳の広間にわずか4人ほど。常連と思われる方たちは、座布団を部屋の端に敷いて、壁にもたれかかって高座を聴いていた。部屋の真ん中はがらんと空いていた。
慣れない私はどこに座ったものか迷って、広間の前方のやや上手(舞台に向かって右)に座布団を敷いて、胡坐をかいて聴いていた。
落語が何席か続いた後、OHP(Over Head Projector)を抱えた着物のおじさんが出囃子に乗って出てきた。ご存じとは思うが、OHPというのは、図形や文章を書いた透明シートを壁やスクリーンに投影して映写する、かつての学校では定番だった視覚機材。いまはコンピュータープレゼンを液晶プロジェクターで映写する方式にとってかわられてしまったが。
今回の出演者は、高座の真ん中の座布団に座ると、何も喋らずに、三味線の音楽に合わせて白いコピー用紙のような紙をハサミで切り始めた。しかも上体をあり得ないほど大きく前後に揺さぶりながら。
ものの1分ほどの時間でできあがった切り絵をOHPに載せ、ライトを点灯すると、高座の後ろのふすまに、笠をかぶった着物の女性の影絵が映し出された。
「藤娘でございます。」あまりの見事な出来に思わず口を開けたまま見入ってしまった。「どなたかお持ちになる方は?」と高座の師匠が言うが、壁にもたれかかった常連からはなんの反応もない。
少しいらだちながらもう一度、「どなたか」と言うので、思わず手を挙げた。切り絵を厚紙に挟んで渡してくれた。初めての寄席で、こんな素晴らしい作品をもらうことができて、驚きばかりだった。
この日に寄席で聞いた落語のネタや、出演した落語家の名前はすっかり忘れてしまったが、紙切りの師匠の一楽という名前はしっかり記憶に残っている。「藤娘」は大切に持って帰ったはずだが、残念ながらいまは手元には残っていない。
この時からすっかり寄席のファンになった。池袋演芸場の他にも、新宿の末広亭、上野の鈴本演芸場、浅草演芸ホールといった、他の常設の寄席にも、機会のあるたびに訪れて、落語や漫才、手品や紙切りなど、肩の凝らない演芸を楽しむようになった。
いまでも東京への出張の折には、時間を見つけて寄席を訪れる。とくに上野広小路にある鈴本演芸場は、飛行機の時間の80分前に寄席を出れば間に合うほどの交通の便の良さのため、しばしば木戸をくぐる。
先日も仕事が思いの外早く終わり、上野の鈴本に急いで行ってみた。うれしいことに、紙切りの師匠の出番は飛行機に間に合う時間だった。
池袋ではじめて紙切りの師匠の高座を見てから40年経ち、一楽という名前は正楽に変わっている。この日の最初の紙切りは「線香花火」。誰も手を上げないので、また私が頂くことになった。
相変わらず素晴らしい芸だ。いまでもほとんど喋らないのも変わらない。「何を切りましょうか?と尋ねると、客席からお煎餅の袋を持って出てきて、これ、と差し出す人がいた。」というのが定番のギャグなのも、40年前から変わらない。
寄席は、昭和や明治や、江戸の時代に瞬時に連れて行ってくれるタイムマシンのような空間だ。