本日の日曜も福岡近郊のすきま散歩。西鉄天神駅を9:44に出発する各駅停車に乗車。9:59に雑餉隈(ざっしょのくま)駅で下車。
雑餉隈は行ってみたかった駅。福岡の難読駅名ランキング1位。どんなところかと期待が膨らむ。
雑餉隈駅は鉄道高架化のために全面改装中。出口までの通路に以前のホームの名残が残る。
10:08に駅前から行動開始。住宅地を抜けて、片側2車線の県道112号線を北上。10:23に福岡市埋蔵文化財センターに到着。無料だが展示はわかりやすい。埋蔵文化財調査の方法を丁寧に解説したパネル展示が勉強になる。受付の女性が金隈遺跡に是非行ってと勧めてくれる。
金隈遺跡に行きましょう。東に進むと御笠川に行く手を阻まれ、しばらく上流に進む。御笠川はちょうど福岡空港に着陸する飛行機の進入路にあたり、頭上を大きな機体が越えていく。
11:10に金隈大橋でようやく御笠川を渡り、しばらく下流に戻ってから、国道3号線を横断した。
横断した先に金隈遺跡の表示を見つけたが、同時にチャーハンの看板も目に入ってしまった。仕方がない。11:30と少し早いが、チャーハンとギョーザの昼食とした。
20分ほどで食事を終え、金隈遺跡に向かう。国道3号線から丘の上に上がり、12:00に金隈遺跡に到着。遺跡の中の道を上ると金隈遺跡甕棺(かめかん)展示館。広い屋内に甕棺墓91基、土壙墓34基、人骨4体を発掘されたままの状態で屋内展示してある。壮大な展示だ。
親切な受付の女性が解説をしてくれる。この遺跡は弥生時代前期の中頃(紀元前2世紀)から後期の前半(2世紀)までの約400年間にわたって営まれた共同墓地と考えられているとのこと。非埋葬者は縄文人ではなく渡来人の骨格を持つという。
20分ほどで金隈遺跡を後にして、次の目標の今里不動古墳に向かう。住宅街の中にあるこの古墳はなかなか見つからなかったが、鳥料理の店の脇の狭い路地を入ると、それらしい小高い丘が目の前に現れた。小さな看板が掲げられた狭い道をそろいそろりと下ると小屋があり、その後ろに開口部が見える。石室への入り口のよう。照明はない。iPhoneの照明をオンにして恐る恐る石室の中に入っていく。立ち上がれるほど広い。玄室と思われる広間の一番奥には何やら祀られている。祟られそうな気配がしたので、手を合わせて早々に退散した。
さらに住宅地の中を進む。知らないうちに大野城市に入っていた。住宅街の突き当たる乙金山の麓の善一田古墳群には13:09に到着。この古墳群は圧巻。山裾に30基ほどの古墳がひしめいている。
この古墳群は6世紀後半から7世紀にかけて築かれたもので、被埋葬者は6世紀中ごろにこの地に進出した渡来人とされている。
古墳の保存状態はよく、解説版も丁寧。死ぬまでに見るべき古墳群に認定。
13:32に善一田古墳を離れ、峠に向かって進む。九州自動車道の高架をくぐり、その先の西鉄バス宇美営業所を通過。宇美の街並みに進む。
14:10に宇美八幡宮に到着。境内の巨大なクスノキが目を引く。参拝客で賑わう本殿にお参りする。
境内のすぐ横の宇美町立歴史民俗資料館にも立ち寄る。近隣の遺跡や古墳の展示と解説が豊富。先週は魏志倭人伝に出てくる奴国と考えられる春日市あたりを歩いていたが、奴国から100里で至る不彌国とは宇美のことかと資料館には書かれていた。だんだん邪馬台国に近づいてきた。
資料館を14:32に後にして、子安通りを進む。赤い欄干の子安新橋で宇美川と道路を越え、宇美公園内に進む。
階段の先には応神天皇胞衣浦(えながうら)。胞衣とは胎盤のことで、ここで応神天皇が生誕したよう。この丘には神領古墳群があり、6基の古墳があったはずだが、見つからない。文字が掠れて読めなくなった看板だけが立っていた。
宇美公園の丘から下り、緑道を進む。自転車と歩行者だけが通行できる快適な道。勾配が少なく、直線だ。ひょっとしたら宇美町立歴史民俗資料館でみた国鉄勝田線の廃線跡か?もしそうだったら、今度は勝田線の廃線跡巡りも面白そうだ。
緑道を快適に進み、15:10に光正寺古墳に到着。3世紀半ばの前方後円墳で、墳長54mと巨大。前方部が2段、後円部が3段に築成されており、美しい。
光正寺古墳から住宅地をわずかに進むと、住宅地の中に直径29mの円墳の七夕池古墳。5世紀後半の築造とされている。円墳の頂から見える光正寺古墳の姿がことに素晴らしい。
この先は住宅地の中を進む。佛の浦配水所を通過し、九州自動車道の高架をくぐり、15:50にJR香椎線の須恵中央駅に到着。本日はここで行動終了として、帰途に着いた。
2024年1月21日 すきま散歩 渡来人と不彌国の遺跡巡り 曇りときどき雨 12/9℃ 行動距離15.8km 行動時間5:48 獲得高度210m 25648歩