おしゃれな白金や恵比寿からもほど近い、都内でも好立地とされる目黒の地に建つ世界で唯一の寄生虫専門博物館である目黒寄生虫館。仲良くなったばかりの彼女を連れていって、8mもあるサナダムシをビロローンと見せてキャーと言わせたいというような不埒な考えを持った輩や、蟲愛づる姫君、サブカルチャー好きの老若男女に愛顧されているといったイメージもあるが、じつはこの博物館の素顔はかなりレベルが高い硬派の寄生虫研究拠点。
場所はJR目黒駅から目黒通りを西に900m。徒歩でも行ける距離にある。博物館は6階建てのビルで、展示室は1階と2階。上層階はセミナー室や研究室、収蔵庫、事務室となっているようだ。常設の展示は30分ほどで一通りを見られる程度の大きさである。展示物はもちろん寄生虫。寄生虫。寄生虫。寄生虫。寄生虫。とくに8.8mのサナダムシの標本が圧巻。
平成29年度の事業報告書がインターネットで閲覧できるので見てみたが、平成29年度の来館者数は約57,300名。1日あたり200名以上が訪れる結構な人気スポットだ。また、収蔵されている寄生虫・宿主標本は約60,000点とかなり多い。蔵書数も平成30年3月末時点で5,090冊と非常に多く、寄生虫関連の蔵書には貴重な物もかなり含まれているだろう。
事業報告書から分かることとして、研究者は3名ほど在籍。平成29年度の発表論文は8編。インパクトファクター(自然科学・社会科学分野の学術雑誌を対象として、その雑誌の影響度、引用された頻度を測る指標。まあ、これを付与された論文は立派な論文だということ)のついた英文雑誌に掲載された論文もある。学会発表は15件。そして、日本学術振興会の科学研究費も2件ある。これは、ちょっとした大学の研究室に劣ることのない立派な業績だ。
この博物館を設立したのは亀谷 了(かめがい さとる)先生。館内に亀谷先生を追悼する新聞記事などが掲載されていたので、それらをまとめると次のようになる。
亀谷先生は、長崎医大(現長崎大学医学部)を卒業して、満州鉄道に就職。1943年満州国立厚生研究所に留学し、1945年奉天衛生試験所に勤務している。その間、マラリアなどの研究に従事し、1947年に帰国し、日本生物科学研究所に入所してから、1948年に目黒区内に内科小児科診療所を開設している。そのころから、回虫や十二指腸虫が蔓延する衛生状態の悪さを憂えて、寄生虫をよく知ってもらう施設の必要性を感じ、自費で寄生虫館を建設するという夢を持ち始めたとのこと。その後、地域での診療に励むと同時に非常な倹約を重ね、1953年に私財を投じて自宅近くにバラック建ての寄生虫館を開設。1992年に現在の建物に改築している。終生、寄生虫研究に情熱を注ぎ、2002年7月24日に93歳で死去されている。
本当に寄生虫が好きだったんだろうな。新聞の写真に残る亀谷先生の面影は、実直そうで、とてもいい人に見える。現在も、一流の寄生虫研究者がその遺志を引き継いで寄生虫館の運営に携わっている。亀谷先生の夢を紡いだ博物館は、現在も入場料無料で運営されている。まだ行ったことがない方は、ぜひ訪れてみて欲しい。
と格好つけて言いながらも、私が2004年にここを訪れたのは、白いハイヒールの女性と一緒。いや、決してキャーと言わせたいデートじゃなくって、彼女はリケジョだから喜んでくれるんじゃないかと思って誘ったわけで、べつに何も期待していたわけではなくて、、、ボロが出ないうちにこの辺で。
住所:〒153-0064 東京都目黒区下目黒4丁目1-1
電話:03-3716-1264
開館時間:10:00~17:00
休館日:毎週月曜日・火曜日(月曜日または火曜日が祝祭日の場合は開館し、翌平日に休館)および年末年始
入館料:無料(任意の寄付)