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東京建築散歩 その1 丸の内・銀座界隈編 (11) 銀座松竹スクエア

 東京駅を起点として新橋駅に至るまで、丸の内、銀座、築地、新橋界隈の著名な建築物を巡る一筆書きの旅の11番目の建造物。築地KYビルを覗いた後は、晴海通りをふたたび歌舞伎座に向かって100mほど北上すると右手に銀座松竹スクエアが聳え立つ。

(11)銀座松竹スクエア 中央区築地1丁目13-1 設計:隈研吾

 地下2階、地上23階の超高層ビルで、2002年に竣工。設計は三菱地所設計と隈研吾建築都市設計事務所が担当。

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銀座松竹スクエア

 かつて松竹本社が置かれていた築地松竹会館跡地に建てられている。晴海通りを1ブロック北に行けば歌舞伎座があるわけであるが、現在、歌舞伎の興行は松竹がほぼ独占的に行っている。松竹は、その起源を1895年の大谷竹次郎による京都の新京極にあった阪井座の買収・興業に持ち、1902年に大谷の兄である白井松次郎と松竹(まつたけ)合資会社を設立している。その後、演劇、文楽、歌劇、演芸、映画と、興業全般に拡大を進め、現在では看板となっている映画製作に乗り出したのは1920年に松竹(まつたけ)キネマ合名会社を設立してからである。また、1937年に松竹(まつたけ)キネマと松竹(まつたけ)興行が合併し、松竹(しょうちく)株式会社が設立されている。

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 1936年から1952年まではプロ野球セリーグ松竹ロビンスを擁したこともある。松竹ロビンスは、1953年に大洋ホエールズと合併し、その後横浜大洋ホエールズ横浜ベイスターズと名称を変え、現在は横浜DeNAベイスターズとなっている。

 松竹は発足の当時は関西に基盤を置く興業会社という立ち位置であったが、1913年に歌舞伎座の経営権を獲得した後は、当時、小資本の興行主によっても歌舞伎興業が行われていた劇場を次々と傘下に収め、1929年にはほとんどすべての歌舞伎の興行権を手中に収めることになった。歌舞伎、文楽のような存亡の危機を幾度となく迎えた伝統芸能を松竹はこれまで支えてきたようである。

 しかしながら、そんな松竹本社跡地の再開発として建てられたこのビルの多くのフロアは、竣工当初は広告代理店のアサツーディ・ケイの本社が占めることとなり、ADK松竹スクエアと通称されていた。松竹株式会社の業績を見てみると、2000年以降の年間売り上げは900億円程度で、2020年度の年間売り上げは980億円となっている。これに対して、アサツーディ・ケイの2018年度の売り上げは3500億円を超えている。松竹としてみたら忸怩たる思いがあったと思われるが、アサツーディ・ケイ虎ノ門ヒルズに移転したのを機に、2014年に銀座松竹スクエアの名称に改められている。

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 そんな、築地あたりでは「気まぐれコンセプト」のようにハバをきかせてきた広告代理店ギョーカイの売上高ランキングであるが、2018年のデータを見ると、1位は電通、2位博報堂と続き、アサツーディ・ケイはこの年に4位に転落し、3位にはインターネット系の広告会社のサイバーエージェントが躍進している。日本の広告費は年間約6兆円が使われているが、ここ数年急増するインターネット広告費に対して、旧来のマスコミ4媒体広告費(テレビ、新聞、雑誌、ラジオ)は減少の一途となっている。今後はさらにデジタル系の広告に推移すると予想されている。

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   参考文献:松竹の歴史:https://www.shochiku.co.jp