とりあえず、歩くか。晴れた日は星空の下で寝るのもいい。

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口腔内崩壊清涼菓子(Mintia® Dry Hard錠)によるPhorticaおよびCryptochaetum類に対する忌避効果についての検討

   はじめに

 夏季の山中歩行時には、顔面に極めて近接して飛翔する小型の昆虫に悩まされることがある。この中にはハエ目カ科Culicidaeに属する昆虫もいるが、これは顔面前方を飛翔するだけでなく、上下肢等の露出皮膚面や、時には着衣の上からでもランディングして吸血する動物である。これに対し、飛翔範囲が顔面の前方、とくに眼部付近に集中し、吸血行為を行わないものの、手指による排除にもかかわらず同部の飛翔を繰り返す小型の昆虫が見られる。これを俗称でメマトイ(眼纏、eye gnat)と呼ぶが、哺乳類の目の周囲を飛翔する習性を有した小型のハエの一群を指す。ハエ目ショウジョウバエ科メマトイ属のマダラメマトイPhortica okadai、オオマダラメマトイPhorticamagna、カッパメマトイPhortica kappa、ヒゲブトコバエ科のクロメマトイCryptochetum nipponenseなどが代表的なもので、日本には30種以上のメマトイ類の生息が確認されている1)

 メマトイ類がどのような理由で哺乳類の目の周囲を飛翔するのかについては明らかではない。目に向かって飛翔する個体のほとんどすべてが雄であることから性行動に関係があるのではないかとか、涙液に含まれるたんぱく質を摂取するためではないかといった諸説があるが、検証されてはいない。また、眼球のような形状の物体を嗜好して飛翔するといった説もある。

 幸いメマトイ類は、吸血行為などのヒトに対する直接的な有害事象を生じることはないが、歩行時に執拗に顔面前方を飛翔することからQuality of lifeを損ねるものであることは間違いない。岩稜帯を通過する際に飛翔行動に直面した際には、姿勢の保持に必要な上肢の片側をメマトイの排除に使用することで、滑落等のリスクにつながることが考えられる。また、Phortica okadaiについてはトウヨウガンチュウThelazia callipaedaの媒介者であることが知られており、ヒトへの感染例も報告されていることから、メマトイの顔面前方への飛翔を忌避できる方法が模索されてきた2)

 まず、メマトイの顔面前方への飛翔を回避するためには、帽子から吊り下げるタイプの虫除けスクリーンによって物理的に排除する方法がある。この方法の効果は高いものの、視野に制限が生じることと、気温の高い時期には顔面の皮膚温度の上昇が発生するといった欠点を有する。この他に、ハッカ油Mentha oilの皮膚への塗布は飛翔昆虫の忌避効果が高いとされ、これを含有したスプレー式防虫剤が上市されているが、やや高額である点が問題である。

 Mentha oilを応用した比較的導入が容易で安価な方法としては、Mentha oilの主たる成分であるMentholを含有した菓子類を口中に保持して歩行をすると、メマトイを忌避できるという報告が散見される。今回は、国内の一般商店において購入が容易である商品の中で、忌避効果が見られたとする症例報告のある口腔内崩壊清涼菓子(Mintia® Dry Hard、以下MT錠と略す、図1)を用いて、メマトイの忌避効果の評価を実施したので報告する。

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図1 今回の実験に供したMT錠

    材料と方法

 被験者には50歳代日本人男性1名を用いた。特記すべき基礎疾患はなく、習慣的なアルコール摂取は行わず、喫煙習慣は有さない。被験者には研究の趣旨を説明し、文書によるインフォームドコンセントを得ている。

 忌避効果の評価は、メマトイ飛翔が高頻度で確認された熊本県玉名市山中の林道において、2020年8月16日12:30より実施した。同日同所は、気温35℃、気流0m/secで、直射日光の当たらない状態で実験を実施している(図2)。

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図2 今回の実験場所。静止時のうっとう指数は100に近い実験適地であった。

 忌避効果の判定にはうっとう指数を用いている。うっとう指数とは30秒間の計測時間中に正面を向いた両眼の視野中にメマトイの飛翔が観察された時間の割合を百分率で示したものである。すなわち、計測時間中に常に飛翔が観察された場合は100となり、飛翔が減少するとその値は小さくなることになる。

 最初の計測は5km/hの速度での歩行中の忌避効果の評価を実施した。まず、試薬を口に含まない状態で歩行を行い、30秒間のうっとう指数を計測する。そのまま15秒間歩行を持続したまま口中に2錠のMT錠を投入し、呼気中にMT錠からの香料が十分含まれるようになった15秒後からうっとう指数を30秒間計測する。その後は口中のMT錠が溶解して消失した後、残留効果が消退するまで数分間のウォッシュアウト時間をおき、次の計測を行った。同条件での計測は3回繰り返して実施した(図3)。

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 次に静止状態における忌避効果の評価を実施した。歩行時と同様に、MT錠摂取前のうっとう指数の計測に続き、2錠のMT錠摂取時のうっとう指数を30秒間計測する。その後、数分間のウォッシュアウト時間をおき、同条件での計測を3回繰り返した。

 統計解析にはSPSS 25.0J(日本IBM社)を用い、対応のあるt検定によりMT錠摂取の有無によるうっとう指数の変化について検定を行った。

    結果

 結果をTable 1に示す。歩行時の忌避効果の評価においては、MT錠なしの際のうっとう指数が平均56であったのに対し、MT錠を口中に含んだ状態におけるうっとう指数は52とわずかな低下を示したものの、統計学的には有意な差を示していない(p=0.842)。

 また、静止時における忌避効果についても、MT錠なしの際のうっとう指数94に対し、MT錠を摂取した際のうっとう指数は95となり、両群に差は認められなかった(p=0.678)(Table 1)。

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   考察

 今回の実験では、MT錠にはメマトイの忌避効果は見られなかった。これまでMT錠による忌避効果が1件の症例報告によりなされているが、今回の実験の結果はそれを否定するものであったと思われる。

 効果が生じなかった理由として考えられるのは、MT錠に含有されている香料に起因する可能性がある。MT錠は商品名をMintia® Dry Hardと称することからも推察されるように、口腔内崩壊性の清涼菓子の中ではかなり刺激の強い清涼感を有している。清涼感を呈する添加物として、何らかの香料を含有すると思われるが、これが植物から抽出されたMenthol、いわゆるハッカ油ではなく、化学的に合成されたMenthol誘導体である場合、一般に生物に利用されるL体のみならず、光学異性体であるD体についても同量が生成される可能性がある。あるいは、Mentholではない他の高刺激性の香料であった場合には、そもそも昆虫に対する忌避効果を有さないことも考えられる(図4)。

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 この点について明らかにするために、MT錠の販売者であるA社お客様相談室に電話にてMenthol含有の有無について問い合わせたところ、当該製品の成分については公表していないため、明らかにすることはできないとの回答であった3)

 先のMT錠による忌避効果の症例報告は、東日本の山岳地帯で観察された症例に基づくと思われる。九州のメマトイにはMT錠摂取時に呼気中に発散される成分に対して特異的な耐性を有する可能性もあるが、飛翔生物の場合は交雑が急速に進展するものと思われるため、その可能性は低いのではないかと考えられる。

 今回の実験は試行回数が少ないため、MT錠によるメマトイの忌避効果を完全に否定することはできないが、今後はMT錠以外の、植物由来のMentholを含有することが明らかな口腔内崩壊性の清涼菓子を実験に供して、その効果の判定を実施してみたいと思う。

 

参考文献:

  1. 日本ショウジョウバエ分類データベース:JDD-Japan Drosophila Database, http://www.drosophila.jp/jdd/sp/010102.html
  2. 国立感染症研究所感染症情報センター:わが国における東洋眼虫症.https://idsc.niid.go.jp/iasr/CD-ROM/records/15/17607.htm
  3. Personal communication.