高松には魅力的な建築物が多い。とくに丹下健三氏の建築物は意外なほどこの地に多く、また象徴的な作品が残っているので見逃せない。
丹下の代表作の一つの「船の体育館」とも呼ばれる旧香川県立体育館は施設の利用が中止されてからすでに10年近く経過し、解体がほぼ決定的な状況。いま見ておかなければならない建築物の一つ。仕事の空き時間のできた午後を使って高松の建築を堪能させてもらった。
建築散歩の一歩目はJR高松駅からスタート。
- JR高松駅
香川県の県庁所在地である高松市の玄関口の高松駅。1988年4月10日まで岡山県宇野港と結ばれた鉄道連絡船「宇高連絡船」の接続駅であった名残で、高松駅を発着する線路はすべて高松駅で行き止まりとなる終着駅構造となっている。岡山から高松を経由して徳島に向かう特急うずしおに乗車したときは、高松で逆方向に走り始めたのに驚いた記憶がある。
つぎに高松駅からわずかに北の、高松港の岸壁からほど近い高松港旅客ターミナルビルを訪れてみる。
- 高松港旅客ターミナルビル
かつて岡山の宇野から高松の間に運行されていた国鉄宇高連絡船(1910年6月12日‐1988年4月10日)のバース(船の係留場所のこと)跡に建つターミナルビル。岡山の宇野港から列車を積んだ宇高連絡船はここに着岸し、乗客を乗せた列車はそのままレールの上を走行して四国の各地に向かって進んでいたわけである。ロマンチックな旅だ。かつては関門航路、宇高航路、青函航路で鉄道車両が航送されていたのだが、いずれもトンネルと橋の開通などのために使命を終えて久しい。
高松港旅客ターミナルビルの建設に当たって期待された機能は、その名のごとくフェリー各社の窓口を置いて、連絡通路を通って乗船するという導線を思い描いていたよう。ところがそんな行政の意に反して、実際にはフェリー各社は自社の乗り場の近くに発券所や待合所を設置しており、現在はこのビルのターミナル機能は使用されていないのが残念。
さてその次は、お隣にスックとそびえ立つ高松シンボルタワーを訪ねてみる。
四国の玄関口を照らす松明のようにシュッと延びたタワー棟が特徴的なビル。現時点では四国で最も高い。29階には無料の展望スペースがあり、東には標高300m足らずのテーブルマウンテンの屋島、南には高松市街と足下に高松駅、北には瀬戸内海の島々を一望できる。
上から高松駅を眺めると、4面のホームがすべて頭端式になっていることがよく分かる。
高松駅から東に進んで高松市のメインストリートの国道30号線、通称中央通りに出たら、200mほど南に進むと右手に重厚な建物が見えてくる。これが日本銀行高松支店。
- 日本銀行高松支店
ファサードにほとんど窓がない特徴的な構造。洗練されたシンプルな設計で、迫力のある重厚な建物。日本各地にある日本銀行の建物は、それぞれに趣向を凝らした魅力的なものが多いのだが、日本銀行本店(旧館、辰野金吾設計)と日本銀行大阪支店(旧館、辰野金吾設計)のような歴史的建築以外は、調べてみたが設計者も施工者も見つからない。
最近では支店内部の見学ツアーもあるのだが、ツアー中の内部の写真撮影が許可されていないところをみると、その業務ゆえに詳細な構造を知られたくないためかと考えてしまう。
中央通りを南に進み、美術館通りで左折すると不思議な景色の喫茶店。
- 喫茶城の眼
線描のコンクリート打ち放しのファサードが目を引く老舗喫茶店。設計は丹下健三の弟子にあたる香川県出身の建築家山本忠司。内装にはいずれも著名な彫刻家の流政之、空充秋といったそうそうたるメンバーが取り組んでいる。
さらには店内にかかる音楽も芸術集団「実験工房」の一員だった秋山邦晴のものと、素晴らしい作品。残念ながら今回は開店している時間帯に立ち寄ることができず、内装を見ていない。
喫茶城の眼の斜め前には高松市美術館。
シャープでシンプルな外観の美術館。基本的には、美術館の展示には外光は邪魔になるからだろう。高松市内には作品をいくつか見ることができる佐藤総合計画の設計。建築界では栄誉あるBCS賞を1989年に受賞している。所蔵品は現代美術に優る。
美術館通りから中央通りに戻り、200mほど南に進むと、番町交差点の右には高松市立中央公園が拡がり、中央通りを挟んだ向かい側には百十四銀行本店が聳える。
- 百十四銀行本店。
緑青を吹いたブロンズ板で覆われた外観が特徴的なビル。歴史を感じさせる重厚な色合いだが、ブロンズ板の1枚1枚に表情がある。完成当時はブロンズ板で仕上げられたビルは日本で初めてだったというが、50年後にこんな風合いになることを狙っていたような気がする。
当時は西日本で最も高いビルだったという。2009年の改修後は側面のブロンズ板はガラスで覆われており、それもまた未来を感じさせる。1968年のBCS賞を始めとし、多数の賞を獲得していることにも頷ける。
中央公園の北側には市庁舎と防災合同庁舎が並んで建つ。
- 高松市庁舎
- 高松市防災合同庁舎
高松市庁舎の向かいの中央公園内に建つのが香川国際交流会館。
- 香川国際交流会館
かつて香川県立図書館として使われていた建物。上品で、モダニズムを感じさせる端正なシルエットに惹かれる。
中央公園の先を左に曲がると香川県文化会館。
- 香川県文化会館
百十四銀行本店と関係があるのか、緑青をふいた銅板の屋根が特徴の建築物。ファサードは石張りで、その大きさをランダムに配置したところが城壁のような凜とした姿を際立たせている。
設計をした大江 宏は東京帝国大学工学部建築学科出身。なんと、同級生には丹下健三がいる。大江 宏は国立能楽堂の設計を手がけているが、福岡の大濠公園能楽堂の設計も行っており、福岡市民としてなんとなくなじみを感じる。
そしてその先に見えてくるのが香川県庁東館。
- 香川県庁東館
- 香川県庁舎
香川県庁舎(東館)は、丹下健三の多くの作品の中でも、コンクリートの近代建築に和風建築の意匠を導入し、その後の公共建築に大きな影響を与えたとされるランドマーク的な作品。1950年代の代表建築の一つとされ、公共建築100選にも選ばれている。
鉄筋コンクリート造であるが、ファサードはあたかも五重塔を見ているように感じる。ピンと張った庇を、細い柱と梁で支えることで、日本の伝統建築の表現をしている。
香川県庁舎を設計したのは丹下健三だが、それを可能にしたのは当時の知事だった金子正則の力に負うところが大きい。金子知事は1950年に42歳の若さで香川県知事に初当選し、以降6期24年にわたって知事を務めている。東京帝国大学法学部出身で、判事から知事に転身したのだが、イサム・ノグチや猪熊弦一郎といった芸術家と親交が深く、また自身も芸術愛好家として知られている。
金子知事と丸亀高校で同級だったのが画家の猪熊弦一郎。彼が金子に42歳の新進気鋭の建築家と目され始めた丹下健三を紹介したのが、県庁の設計を担当するきっかけとなっている。その後も金子県政は長く続き、高松市に丹下健三の作品が多く残されることとなっている。
香川県庁からは東に進路を変え、菊池寛通りを進む。中央公園を過ぎ、中央通りと菊池寛通りの交わる交差点に建つのが香川銀行本店。
- 香川銀行本店
ここから次の物件までは、北東に2km近く歩かなければならない。琴電のターミナルである瓦町駅から琴電志度線に沿って今橋駅まで進み、さらに500mほど北に進む。住宅街の上の空に黄色い巨大な船が浮かんでいるのを目にして驚くだろう。
- 旧香川県立体育館
船の体育館とも呼ばれるこの体育館は丹下健三の作品。同じく丹下が設計した1964年竣工の国立代々木競技場の原型とも言われている。
吊り屋根の構造は高張力サスペンション構造という清水建設が開発した手法で、これも国立代々木競技場で使われている手法。
美しく、ユニークで、歴史的建造物としても重要な作品であるが、耐震改修が行われないまま2014年9月に閉館となっている。現在は防災の見地から解体を進めようとする行政と、歴史的建築物の保存を願う市民団体の間でせめぎ合いが続いている。
船の体育館から南に300mほど進むと見えてくるのが高松第一学園。
- 高松第一学園
さらに1.5kmほど進んだ住宅地にあるのがオリーブ高松メディカルクリニック。
- オリーブ高松メディカルクリニック(旧高松逓信病院)
山田 守は日本武道館、京都タワーの建築で知られている。公共建築100選にも選ばれている。
最後の目的地は少し離れているため、琴平電鉄花園駅から電車に乗って、一宮駅で下車。住宅地を200mほど進むと香川県営住宅一宮団地。
- 香川県営住宅一宮団地
1958年から1964年にかけて建設された公営住宅の老朽化に伴い、丹下健三の基本計画に基づいて造られた住宅群。県営団地とは思えないような優美な都市計画を感じる。
周辺に数棟のスターハウスが残るが、断然こちらの団地が目を引く。
丹下健三は、個々の建築物も素晴らしいが、都市計画というところで他の建築家と比べてスケールの大きさを感じる。
高松の建築散歩はここでおしまい。一宮からは再び琴平電鉄に乗って高松市の中心部に戻る。アーケードを歩いて夕食の店を探す。
名物の骨付き鶏をメインにして、締めにはもちろん、うどん。美味し。
2023年5月25日 建築散歩 高松市
曇り 25/15℃
行動距離17.9km(実歩行9.2km) 行動時間4:01 獲得高度34m 29359歩 行動中飲水量100ml