とりあえず、歩くか。晴れた日は星空の下で寝るのもいい。

週末の九州自然歩道のトレッキングや日常の雑感です。英語版のトレッキングログもこちら https://nayutakun.hatenadiary.com/  で公開しています。

建築散歩 大阪中之島編

 今回の建築散歩は大阪・中之島。大阪には年に1、2回仕事で訪れるのだが、大阪は福岡から日帰りの仕事が多いこともあり、これまではあまり街中の探訪をしたことがなかった。

 1月上旬に大阪で20年来の友人と会う機会があり、中心部の中之島での待ち合わせの時間まで3時間ほどの余裕ができた。良い機会だ。中之島地区のめぼしい建築物を探索することにした。

(1) 大阪府立国際会議場グランキューブ大阪

  • 大阪市北区中之島5-3-51
  • 設計:黒川紀章
  • 施行:竹中・大林・フジタ・銭高・松村・シャール・西武・大鉄・大末・今西JV
  • 地上13階、地下3階、高さ105m
  • 竣工:1999年

 京阪中之島駅を降りた正面には、直線のみを組み合わせた巨大で無骨な方形の建物が目の前に聳える。これが大阪府立国際会議場、通称グランキューブ大阪。2000年に日本で開催されたG8サミットの誘致のために建設された。設計は大御所の黒川紀章

 残念ながら2000年のG8サミットは、九州・沖縄サミットとして沖縄県名護市の万国津梁館をメイン会場として開催されたため、大阪府立国際会議場がG8で使用されることはなかった。

 それにしても当時は、「沖縄でサミットが開催されるんだ」という感じだった。守礼門が描かれた二千円札が発行されたり、かりゆしウェアを着た首脳たちが並んで写真を撮っていたり、日本中がちょっとしたお祭り騒ぎだったようなことを思い出す。そういえば、沖縄での開催を決定した小渕首相はサミット前に突然の脳梗塞で亡くなったために、経緯がよくわからないまま後を継いだ森喜朗が首相としてホストを務めていたなあ。

 

(2) 莫大小会館(メリヤス会館)

  • 大阪市福島区福島3-1-39
  • 設計:宗 兵蔵
  • 施行:大阪橋本組
  • 地上4階、地下1階
  • 竣工:1929年

 グランキューブ大阪から堂島川を挟んだ反対側を眺めると、上品な色使いのアールデコ様式の瀟洒な建物が目に入る。これが莫大小会館。

 莫大小はメリヤスと読み、伸縮性のある生地の昔からの呼び名のこと。靴下、下着、手袋、帽子などの伸縮性の必要な衣類に用いるために、綿糸や絹糸、毛糸を、繰り返しのループ状のメリヤス編み(平編み、天竺編み)の生地としたものを指す。どこまで引っ張っても伸びるような生地の特性を漢字でストレートに表現したのだろうが、パッと見ると布地の名称とは思えないような漢字3つの配列。メリヤスという言葉自体も1950年代までは一般的に使われていた語であるが、現在では死語と言ってもよいか。製品の種類によってはニット、ジャージーという語のほうがポピューラーかと思われる。

 明治期初頭には肌着、靴下、手袋などのメリヤス製品の多くが大阪で生産されており、とくに福島には製造販売業者が集中していたことから、大正15年に大阪輸出莫大小工業組合が設立され、福島の堂島大橋北詰に組合事務所として建てられたとのこと。

 第2次世界大戦の際にメリヤス会社の多くが戦災に遭って組合が存続できなくなり、その後はテナントビルとしてその名を残していたが、2022年7月31日に惜しまれつつも閉館した。今後、この歴史的な建築物がどうなるか気にかかるところである。

 設計者の宗 兵衛(そう ひょうぞう)は明治後期から昭和初期まで活躍した関西建築界の重鎮。晩年に作られた彼のアールデコ様式の3作品である生駒ビルジング(大阪市中央区平野町2-2-12)、旧制灘中学校校舎(兵庫県神戸市東灘区魚崎北区8-5-1)はいずれも現存している。

 

(3)リーガロイヤルホテル大阪

 グランキューブ大阪の東に隣接した、四面体を組み合わせた風貌が特徴的な建物が大阪を代表するリーガロイヤルホテルグランキューブ大阪とは連絡通路で繋がっている。

 1965年に現在地に大阪ロイヤルホテルとして開業。大阪随一の格式の高いホテルとして、1970年の大阪万博の際には皇太子夫妻が宿泊している。1997年にリーガロイヤルホテルに改称。長年にわたって大阪を代表する高級ホテルとして君臨してきた。

 自腹ではなかなか泊まれないホテルではあるが、仕事で呼んでくれる招聘先がいつもここを予約してくれていたので、10年以上にわたって毎年お世話になっていた。オリンピック水泳の木原光知子さんがアドバイザーを務めたアネックス6階のプールで汗を流して、ウエストウイング15階の中国料理 皇家龍鳳で白湯スープを頂き、翌朝は1階のダイニング リモネのビュッフェでシェフの焼いてくれるオムレツに舌鼓を打つという満ち足りた滞在だった。

 リーガロイヤルホテルは、かつてはホテルプラザ、東洋ホテルと合わせて大阪の名門高級ホテル「御三家」と称されていた。ところが御三家の一角の大阪万博の前年の1969年に大淀南に開業したホテルプラザは、バブルの終焉とともに経営が悪化して1999年に閉鎖。2011年には解体され、今後はタワーマンションと病院となる予定。

 御堂筋線中津駅に直結していたもう一つの御三家の東洋ホテルも1969年に開業。高級ホテルとして各国の賓客を集めていたが、ラマダホテルへのリブランドを経て2013年に閉館。2020年にタワーマンションに建て替えられている。栄枯盛衰の流れである

 御三家の中で唯一生き残っているリーガロイヤルホテル大阪はいまだに吉田五十八設計のエントランスが映えるが、いささか老朽化が見える。中之島には2017年にコンラッド大阪が開業しているので、上客の奪い合いにも激しい攻防がありそう。

 ところで、ロイヤルホテルの頭に付けられたリーガ(RIHGA)とはなんだろうか。創業一族の名前なのか、ラトビアの首都が発祥の地の地名かなどと思っていたら、Royal International Hotel Group & Associatesの頭文字をとったものだった。ふーーん。

 

(4)ほたるまち

 リーガロイヤルホテル大阪から堂島川に沿って上流に200mほど進むと玉江橋。その橋の向こうに見える複合施設がほたるまち。A街区は「朝日放送」、B街区は高層集合住宅、共同住宅、事務所、ホールなどの複合施設、そして商業施設のC棟のざっくりいって3棟で構成されている。

 超高層マンションThe Tower Osakaは50階建て。こんな大都市のど真ん中のタワーマンションに住んだら、ふだん買い物に行くスーパーは近くにあるのだろうかと人ごとながら心配になる。ひょっとしたら、こういう所に住むお方達は、スーパーなどには行かずに百貨店の地下で済ませてしまったり、買い物はお手伝いさんにお任せしたりしているのかな。庶民にはその生活様式を想像することすら難しい。

 

(5)大阪市立科学館

  • 大阪市北区中之島4-2-1
  • 設計:環境開発研究所
  • 景観設計:チィアナ・バルモリアソシエーツ、相馬ランドスケープ計画事務所
  • 施工:竹中・大林・鴻池・銭高JV
  • 竣工:1989年

 玉江橋からなにわ筋を南に150mほど下り、マンションの間を東に折れて100mほど進むと、白いエッグタルトのような形の建物が現れる。ここが1989年に大阪大学理学部の跡地に建てられた科学の殿堂、大阪市立科学館。私のお気に入りの場所で、何度も訪問している。

 からくり時計やプラネタリウムにはいつもうっとりしてしまう。ルービックキューブをコンプリートしてしまうロボットは必見。楕円形の外観も魅力的で、太陽系の惑星の軌道を表しているとか。

 

(6)国立国際美術館

 大阪市立科学館の玄関から東を眺めると、ステンレスの鉄骨でできた、蛹から巨大な蝶が羽化しているかのようなオブジェが見える。これが国立国際美術館のエントランス部分。

 美術館の本体は、大部分が地下に収められたユニークな設計。というか、設計者はファサード(建物の正面デザイン)に自分の意見を反映できない悲しみからか、それともこれをもってファサードに代えようとしているのか、機能的にはなんの役目も果たしていないような金属製のオブジェをエントランスに思いっきりかぶせて鬱憤を晴らしているかのよう。

 設計者のシーザー・ペリは大型の作品を世界中に設計しているが、羽田空港第2ターミナルビル、あべのハルカスヒルトン福岡シーホークなど、日本にもその巨大な作品が数多い。

 

(7)大阪中之島美術館

 国立国際美術館から路地を挟んだ北に2022年に開館したのが大阪中之島美術館。個人的には今回初見となる。黒い箱のような外観がかなり攻めた設計。

 開館日は2022年2月2日。調べてみたが、これといってなにごともない日で、しかも水曜日。さてはゾロ目を狙ったか?

 収蔵品の中核になったコレクションには、パリの街角を描き、彼の地で30歳の若さで客死した大阪中津出身の佐伯祐三(1898~1928)のものがある。彼のことを語るときは、「巴里」という語の方が似合いそう。コレクションは、山発産業株式会社の山本發治郎が蒐集したもの。

 美術品コレクターとして知られる山本發治郎(2代目)は岡山県出身であるが、初代山本發治郎が大阪に設立したメリヤス製造会社の山発商店の婿養子として2代目山本發治郎を継ぎ、山発産業株式会社として発展させている。夭逝してすでに故人となっていた佐伯祐三を1933年頃に最初に見出した人物とされており、150点ほどの作品を集めていたとされるが、戦災で100点ほどを失っている。6年足らずの佐伯の画家としての期間に残された作品はそれほど多くなく、彼の貴重な作品が失われたことは非常に残念。

 ちなみに空襲による被害を受けた山本發治郎の芦屋の自宅を設計したのは、大阪証券取引所を設計した竹腰健造。中之島から川を挟んだ堂島にある大阪証券取引所は1935年に竣工した建築物であるが、現在もそのファサードの一部が残されている。

 

(8)ダイビル本館

 中之島美術館から筑前橋筋を渡った先が旧ダイビル本館。かつての正式名称は大阪ビルジングで、通称がダイビルだった。

 地上8階の優雅なネオ・ロマネスク様式のビルであったが、2013年に地上22階、高さ108mのビルに建て替えられた。ところが嬉しいことに、かつてのファサードをかなり忠実に残し、内装も復元するという、手間のかかる建て替えプロジェクトを実施してくれており、いまなおかつての商都大阪の面影を残していてくれる。外壁の彫刻群やエントランスの照明には目を見張るばかり。こんな手のかかった再建をしてくれるとは、大阪の方々の心意気を感じる。

 設計は東京丸ビルの渡辺 節、製図主任が有楽町の日生劇場村野藤吾、構造設計は東京タワーの内藤多仲という、当時これ以上はないだろうという豪華な顔ぶれ。例えるならばバース、掛布、岡田のクリーンアップトリオのような。

 

(9)中之島フェスティバルタワー

(10)中之島フェスティバルタワー・ウエス

左がフェスティバルタワー・ウエスト、右がフェスティバルタワー

 ダイビルから1ブロック東に進むと、四つ橋筋の6車線の道路を挟んで2つの双子のような高いビルが聳えているのが見える。東のビルが中之島フェスティバルタワーで西のビルが中之島フェスティバスタワー・ウエスト。2つ合わせて中之島フェスティバルシティと称されている。

フェスティバルタワー・ウエス

 1958年に竣工した初代フェスティバルホールは、音響効果に優れたホールとして知られており、2008年に閉館するときは惜しむ声が多く寄せられていた。マエストロ朝比奈隆の指揮する大阪フィルのブルックナー交響曲フェスティバルホールで、、、なんて話しを始めたら止まらなくなる人も多いのではないかと思う。

フェスティバルタワー

 現在は東の中之島フェスティバルタワーにホールが入り、西の中之島フェスティバルタワー・ウエストには中之島香雪美術館が入り、中之島の文化の中心を担っている。中之島フェスティバルシティとして第60回BCS賞を受賞している。

 

(11)大同生命大阪本社ビル

 中之島から外れるが、ついでにフェスティバルホールから南の土佐堀川に架かる50mほどの長さの肥後橋を渡ってみよう。テラコッタのやさしい色合いのゴシック様式の柱から優雅なカーブを描いて扇状に上に延びるビルが大同生命大阪本社ビル。

 1992年竣工の旧大同生命本社ビルは記憶に残っていないのだが、現ビルは設計した建築家のヴォーリズの意匠を汲んでいるとのこと。

 

(12)三井住友銀行大阪本店ビル

 フェスティバルホールから土佐堀川の向こうを眺めながら歩き、高速道路の架橋を越えると、川を挟んだ正面には造形に遊びの要素のない、しかしながら重厚で奥行きのある、まさに質実剛健と言いたくなるような建築物が見えてくる。これがかつて住友の中核拠点であった住友ビルディング。現在は三井住友銀行大阪本店ビル。

 

(13)日本銀行大阪支店

 そのまま中之島の南岸を東に進むとグレーの石造りの建物の側面が左手に出てくる。御堂筋を渡って正面に回り込むと、屋根には緑青をふいた堂々たる左右対称の建物。これが日本銀行大阪支店。設計は佐賀県唐津市出身の辰野金吾

 辰野金吾は東京・日本橋にある日本銀行本店の設計もしているが、本店はビルに囲まれているうえに正面玄関が固く閉ざされているためファサードを充分に観察することができない。その点、日本銀行大阪支店は御堂筋という8車線(なんと北から南への一方通行)の広い道路に面しているため、端正かつ威厳を備えた正面観を堪能することができる。

 

(14) 大阪市役所本庁舎

 日本銀行大阪支店と御堂筋を挟んだ向かいが大阪市役所本庁舎。明治時代の初代庁舎から数えて、現在の庁舎は4代目となる。

 現在と異なる土地にあった初代市庁舎は木造で、1899年あたりに竣工。堂島にあった2代目は1912年に竣工。現在と同じ中之島に建設された3代目は1921年に竣工。3代目は近世復興式と呼ばれる威厳のある庁舎で、保存を望む声も多かったよう。残念ながら、惜しまれつつも4代目の市庁舎に引き継がれるべく、1982年6月から解体工事が始まり、同年の12月には地上部分は解体されている。現在の4代目のファサードも堂々たる造り。

 

(15) 大阪府中之島図書館

 大阪市役所本庁舎の東隣には4本の柱を正面に備えた石造りの荘厳な建物がある。これが大阪府中之島図書館。

 住友財閥住友吉左衛門大阪府に寄付したもので、設計は住友営繕部の基礎を築いた野口孫市(1869-1915)と、ともに1900年に設立された住友営繕(住友本店臨時建築部)で働いた後輩の日高 胖(ゆたか、1875-1952)。野口は住友家のお抱えの建築家として、住友関連の多くの建物、邸宅の設計に携わっている。ちなみに野口の父親は姫路藩士の野口野(いやし)。回文か?読めない。

 日高は1915年に46歳の若さで亡くなった野口の後を継いで、住友営繕部の責任者として住友ビルディングの設計に携わることになる。その後住友営繕部は住友土地工務株式会社を経て、1945年に日本建築産業株式会社、1950年には現在も多数の建築設計に携わる日建設計へと社名を変えて発展している。

 大阪府中之島図書館は歴史的には日建設計の第1号の建築物となる。いまだに現役の図書館として活用されており、内部を見ることもできる。

 

(16) 大阪市中央公会堂

 大阪府立図書館の東に隣接するのが大阪市中央公会堂。建てられたのは100年以上のことだが、いまだにその隙のない様式美と端正な佇まいは息をのむほど。北浜の風雲児と呼ばれた株式仲買人岩本栄之助が寄付をした100万円(現在の数十億円に相当)をもとに1913年6月に着工し、1918年11月17日に竣工した現役の集会施設。39歳で亡くなった岩本栄之助の生涯もとてもドラマチックだが、長くなるので割愛。

 建築原案には1912年に行われた当時はまだ珍しかった設計デザインコンペが行われ、東京帝国大学建築学科を卒業して早稲田大学の講師として勤務していた29歳の岡田信一郎のデザイン案が1等当選。これに基づいて辰野金吾と片岡 安が実施設計を行っている。同時期に辰野金吾のもとで岡田は日本銀行小樽支店の設計に携わっているので、東京帝国大学建築学科の後輩として旧知の間柄であったと思われる。

 大阪市中央公会堂の建物は赤煉瓦の色の映えるネオ・ルネッサンス様式の端正な建物。1988年には永久保存に決定され、2002年9月には耐震補強、免震構造化、バリアフリー化を伴う改築を終え、これからも長く大阪の宝物として大切にされていくだろう。

 

(17)大阪市立東洋陶磁美術館

 大阪市中央公会堂ファサードを振り返り見ながら東に進むと、品の良い落ち着いた色合いのタイルを外壁に貼られた建物が現れる。これが大阪市立東洋陶磁美術館。外壁のタイルは1枚1枚の色が微妙に異なっているのが特徴的。

 この美術館は安宅産業の安宅栄一が蒐集した東洋陶磁コレクションである通称安宅コレクションのために建てられたとも言ってよいほどの、美術コレクションのための美術館。安宅栄一が経営した総合商社の安宅産業の1977年に破綻とともに逸散する恐れのあったそのコレクションを、同じ大阪に本拠をもつ住友グループが救済。さらに住友は巨額の文化振興基金を寄付して、運用利息で安宅コレクションのための美術館を建ててしまったという経緯。さすが世界最古の財閥家系と言われる住友。いやはや、スケールの大きすぎる話だが、大阪の財界の文化保護にかける情熱の熱さには何度も驚かされる。

 

(18)こども本の森 中之島

 中之島をさらに東に進むと、堂島川に沿った緩いカーブを描いたコンクリート打ち放しのおしゃれな建物が現れる。これは安藤忠雄が設計し、建築費用を負担し、大阪市に寄贈し、2020年7月5日に開館したこども本の森中之島

 貸し出し可能な図書館ではなく、閲覧のみ可能な本とのふれあいを楽しむ施設として運営されている。

 こども本の森 神戸(2021年12月15日竣工、2022年3月25日開館)、こども本の森 遠野(2020年竣工、2021年7月開館)もともに、安藤忠雄が設計し寄付している。

 そういえば東京上野にある国際子ども図書館の改築の設計も安藤忠雄だったなと思い出す。安藤忠雄さんといえば日本を代表する建築家だが、元プロボクサーという異色の経歴からちょっと硬派な、がさつな人というイメージを勝手に抱いていた。不明を恥じるばかり。知り合いの建築家から聞いた話なのだが、若い頃の安藤忠雄に設計してもらったコンクリート打ち放しの「住吉の長屋」の施主さんが、あまりの寒さにリビングにこたつを設置していたら、訪問してきた安藤忠雄に有無を言わさず撤去され、「ジムにでも行って身体を鍛えなはれ」と言い放たれたとかいう、嘘か本当かわからないような伝説を信じていたからだ。本当は子どもの好きな心優しき人なんだろうな。

 

(19)大阪証券取引所

 こども本の森 中之島から堺筋という4車線の広い道路を横断すると、その先は中之島公園のバラ園。中之島の主な建築物の見学はここで終わる。

 堺筋を南に進み、難波橋土佐堀川を渡ると北浜1丁目の角に見えるのが正面に五代友厚の像を据えた大阪証券取引所。大阪の金融の中心地である北浜のランドマーク的な建物。設計は住友営繕部の中核であった長谷部鋭吉と竹腰健三。2004年に新ビルに建て替えがなされたが、旧市場館は外観が保存されている。

 

(20)新井ビル(旧報徳銀行大阪支店)

  • 大阪市中央区今橋 2丁目1-1
  • 設計:河合建築事務所(河合浩蔵)
  • 施工:清水組
  • 竣工:1922年
  • 地上4階、地下1階

 中之島から北浜に入ってしまったが、あと50mだけ堺筋を南に進む。右手に見える新井ビルはかつて銀行として使われていたレトロな佇まい。1階には大阪で人気のパティスリーの五感 北浜本館が入店。お米を用いたお菓子が有名。

 今回、友人との久しぶりの再会は新井ビルのパティスリー「五感」の2階にあるのカフェで締めることとなった。カフェは大人気でしばらく待つこととなったが、その価値は充分にあった。吹き抜けの2階の回廊の先は大理石を壁にあしらった部屋。珈琲の香りも高い。

 ここで今回の建築散歩は終了。北浜駅はすぐそこで、京阪中之島駅からここまででおよそ3kmの散歩となる。

 私見だが中之島エリアは良品の建築と美術や催し物などの関連する文化の稠密度が日本一。いまさらながらだが、建築散歩と芸術鑑賞にはお勧め。