週末の自然歩道歩きは、現在の再開地点が京都丹後と山梨の2か所となり、土日の2日の休みだけでは実行が困難になってきた。今回からはすきま時間の有効活用として、日本各地の廃線跡巡りを新企画として採り入れたいと思う。
本日は博多駅から7:51発の鹿児島本線快速に乗り、鳥栖で各駅停車に乗り換えて8:58に瀬高に到着。この駅は国鉄佐賀線の起点となっていた駅。1987年に廃止となった佐賀線は、佐賀駅と瀬高駅までの24.1kmを結んでいた鉄道。筑後川に架かる橋梁は、船舶の通行のために中央の橋桁を上げる昇開橋として有名で、画像では何度も見ていたが、これまで訪問の機会がなかった。今日は筑後川昇開橋と佐賀線の駅の跡を探すことを目標としてこのコースを選択した。
この瀬高駅は、1931年の佐賀線の開業当初は矢部川駅として、筑後柳河駅間の8.6kmの起点となっていた。現在は瀬高駅と名を変えているが、佐賀方面の西から駅に進入してきたであろう佐賀線の線路の痕跡は、1987年以降に舗装された直線あるいは緩いカーブを持つ道路として存在しているのではないかと駅前広場から見渡してみた。人が歩いていれば尋ねてみようかとも思ったのだが、あたりに人影はない。確信は持てなかったが、駅前から北北西に真っ直ぐ延びる舗装路に向かって9:05に1歩目を踏み出した。
方鉾橋を過ぎ、作出交差点から左折して、今町に向かって直線路を進む。新しい舗装路で、なんとなく線路があったような気がする。根拠はない。
住宅の間を通り抜けて廣田八幡神社にお参り。その先の矢部川の堤に上がる。
9:35に大和堰に到着。佐賀線はこの辺りで矢部川を越えていたはずだが、橋梁の痕跡は見当たらない。
大和堰を渡り、対岸の堤を歩くと線路の築堤の痕跡が見つかった。ここで矢部川を越えて、なだらかな斜面で平地に降りていたようだ。
ここからは県道96号線八女瀬高線を真っ直ぐに進む。両側には牧草地が広がる。佐賀平野は水田が一面に広がるイメージだったが、稲作の間に牧草を生産しているのか、あるいは減反の結果なのかと気になる。
クリークに架かる金屋久(かなやきゅう)橋を渡った先の県道上に、瀬高駅から1つ目の三橋駅があったことを示す石碑を見つけた。瀬高駅を出発してからちょうど1時間。県道の交通量は少なく、歩道も広いので、快適に歩くことができる。
さらに県道96号線を西に進む。再びクリークに架かる松田橋を渡る。道路脇は牧草地。右手奥には沖端川の堤防が見えてきた。10:20に二つ河小学校南交差点を通過した先に百町駅跡。三橋駅と同じ御影石でできた石碑。上品な書体で駅名が刻まれている。
それにしても、平坦で真っ直ぐな道が続くものだ。いつもは藪漕ぎの自然歩道に文句を言っているのに、こんな快適な歩道を歩かせてもらって贅沢すぎるぐらいだが、どこまで歩いても景色が変わらない。時折現れるクリークぐらいがわずかなアクセントとなる。
出畑橋で川幅の狭い二つ川を越えたあとは、新御鷹見橋で川幅の広い沖端川を渡る。この辺りは汽水域なのか、川は深そうな泥濘で埋まっている。
10:52に有明海沿岸道路の高架下をくぐり、さらに真っ直ぐ進む。11:00に西鉄大牟田線の矢加部駅の高架下をくぐる。西鉄の高架の桁下が低いため大型車が衝突する事案が多いのか、橋脚や桁下にはくどいほど注意の記載が書かれている。
11:12にはYOU遊の森公園に到着。公園内には筑後柳河駅の駅名標がある。ベンチに腰を下ろし、レモンティーとパンの休憩とした。
11:30に行動を再開。しばらく住宅の間を歩いていたが、クリークまで歩いたところで茂みの中に路盤が残っているのを発見。クリークの手前には橋梁跡も見られる。
クリークに架かっていたであろう橋梁はすでにないが、クリークの先にも路盤が続いているのが見える。新小坪橋を渡って、クリークの先の線路跡を歩き始める。バラスが下に敷かれた路盤の道は、なんとなくクッションがよい。たぶん気のせいだが。
しばらくは、いかにも線路跡だと感じる直線的で平らな道を歩く。こんな時間が廃線跡巡りの醍醐味なんだろうなと心に浮かんできた。ゴルフ練習場の先のクリークでは、線路が越えたであろうセメント構造やキロポストのような木造構造物が道ばたに残っている。こんな宝探しの気分を味わう。
右に有明海沿岸道路が近接してきた。自動車道路には入れないため、グルッと回り込んだ大川東IC交差点の角に立つ企業の前に東大川駅跡の標識を見つけた。
この先は国道209号線に平行した路盤構造のような道を草を払いながら歩くが、圃場の中に消えてしまった。やむなく有明沿岸道に並行した道を歩く。
ときおり高架の真下に、クリークを越える鉄路の跡が残されている。
12:40に幡保南交差点のセブンイレブンに立ち寄る。この先の高架下にも橋梁の跡。有明海自動車道路は左に緩いカーブを描いて曲がっていくが、歩道にはそのまま真っ直ぐ進む道が連続している。散歩中の女性に尋ねると、まさにここを佐賀線が走っていたという。50cmほど盛り上げた路盤が残り、道路周辺に散らばったバラスが鉄路を思い起こしてくれる。
13:07にハローワーク北駐車場内に筑後大川駅跡を見つけた。ザックを下ろしてアップルティーで小休止。
13:20に行動を再開。小保交差点を過ぎ、13:25に新花宗橋で花宗川を越える。佐賀線は花宗川を花宗川橋梁という跳ね橋で渡っていたようだが、遺構は見つからない。
この先はDesign Promenadeという現代アートを並べた小道を歩き、13:35に筑後若津駅に到着。隣にある大川昇開橋温泉は休業中のよう。もう筑後川昇開橋は目の前だが、じっと我慢して下流部にあるもう一つの気になる構造物の花宗水門を見学に行く。この位置からは本日のメインイベントの筑後川昇開橋の全体を俯瞰することができる。
14:10に筑後川昇開橋に戻り、佐賀に向かって筑後川の上を歩き始める。昇降部の手前には小さな小屋が建っていて、中から男性が出てきてパンフレットを渡してくれる。今でも昇降はできるという。「今日はウォーキングの人が多いからできないけどね」と。残念。
昇降部分を過ぎた先には福岡県と佐賀県の県境。ここが筑後川の真ん中になるのか?渡り終えたところには諸富駅の駅名標が建てられていた。いやー素晴らしい橋だった。返す返すも、国鉄佐賀線時代にここを列車に乗って渡らなかったことが後悔される。
筑後川昇開橋を渡り終えた後は、国道444号線を横切って真っ直ぐ伸びる徐福サイクルロードを進む。14:36に諸富文化体育館を通過して、国道208号線に架かる立体交差を越える。線路だったサイクリングロードの両側には桜の木が植えてある。あと1月もしないうちに素晴らしい光景が広がるだろう。
15:12に光法駅跡に到着。これで「みつのり」。人の名前のよう。ホームの一部も残されている。クリークの周りには牧草地が多い。
県道266号線を横断して、15:33に南佐賀駅跡に到着した。ここは駅名標の建ったホームと、駅舎を再現したようなトイレ、線路の一部も残されている。時刻表を見ると、当時も1時間に1便ほどもないダイヤグラム。通勤通学には制約がありそうだ。
南佐賀駅跡のある南佐賀公園で徐福サイクルロードは終わり。ここからは舗装路の大財藤木線を歩く。道路沿いに丸ぼうろで有名な北島の店舗を見つけた。ここでお土産を購入。佐賀線偲橋を渡る。欄干には鉄道。
16:00には曙橋からコースを外れて左折して佐賀江川に沿って佐賀城内に進む。せっかくだから、佐賀城のお堀端を歩いて、本丸歴史館に立ち寄るためだ。
佐賀城本丸歴史館を30分ほど見学し、16:45から行動を再開。17:00には曙橋に戻って、佐賀線の痕跡を探す。
17:07に田代二丁目交差点を通過。このあたりに東佐賀駅があったらしいが、遺構らしきものは何もない。
この先は現存する長崎本線に向かって北上する。長崎本線との交差部には佐賀線の線路があったような橋脚の断端が見えた。おそらくここから佐賀駅構内の高架につながっていたのだろう。
17:33には佐賀駅に着いて行動終了。17:42の長崎本線各駅停車に乗車して、福岡への帰途についた。予想したとおり、廃線歩きは楽しい小旅行だった。
2024年3月3日 廃線跡巡り 国鉄佐賀線 福岡県みやま市瀬高駅~佐賀県佐賀市佐賀駅 晴れ 12/-2℃ 行動距離30.5km 行動時間8:27 獲得高度18m 43641歩 行動中飲水量400ml