
今回はずいぶん前の話になるが、2023年に歩いた大阪船場の建築の見物を中心とした散歩の紹介。
この日の本来の用事は午後7時からで、午前中はたっぷりと自由な時間ができてしまった。余った時間は趣味の建築巡りで船場(せんば)あたりを探索してみた。というのも、今年(2023年)のはじめ、中之島周辺の建築物を探訪したときに、堂島川のさらに南のエリアに興味をそそる重厚な建物がたくさん残っているのを見て、気になっていたからだ。
インターネット検索をしてみると、船場NAVI(https://semba-navi.com/architecture/)というサイトで主な歴史的建築物の紹介をしているほど、優れた建築物が残されている。さすが日本随一の商都大阪だ。
ちなみに船場とは、大阪市の中之島の南のエリアで、北を土佐堀川、南を長堀川(現在は埋め立てられて長堀通)、東を東横堀川(現在は阪神高速1号南行きが走る)、西を西横堀川(現在は阪神高速1号環状線北行き)に囲まれた南北に2km、東西に1kmほどの四角い地域。。豊臣秀吉の大阪城築城に伴って開発された地域で、南北に走る大きな通りの「筋」と、東西に走る「通」が碁盤の目のように走行する。銀行や証券会社、繊維問屋や商社、製薬会社が集中する大阪経済の中心地である。
ということで、船場NAVIで紹介されている建築物を中心に、美しいビルを眺めながらの散歩をすることとした。建築物の解説の大部分は、船場NAVIのものを引用させて頂いている。
梅田からスタート。裁判所東筋線を南に下り、難波橋を渡ってまずは安藤忠雄設計のこども本の森中之島に立ち寄る。ここはまだ中之島で、船場エリアには入っていないが、安藤忠雄の設計を素通りするのはもったいない。


- こども本の森 中之島
大阪市北区中之島1-1-28
設計:安藤忠雄
施工:竹中工務店
竣工:2019年12月
地上2階、地下1階

ついでに中之島のバラ園に立ち寄るのもお勧め。よく手を掛けられた見事なバラが開花しており、周囲は馥郁たる香りに包まれている。


中ノ島から土佐堀川を渡ると船場エリア。ここから先は、建築物を見ながらのんびり歩く。
まずは北浜の北浜レトロビル。

- 北浜レトロビルディング
大阪市中央区北浜1-1-26
設計:不明
施工:不明
竣工:1912年
地上2階
船場NAVIによると1912年に株仲買商の商館として建てられたものを、現在のオーナーが1997年にリノベーションしたもの。1階はアンティークショップとして使用されている。カフェとしても営業しているようだが、開店前のため確認できず。こんなビルを個人で購入してDIYで改装するのもいいな、なんて夢想しながら先に進む。

次いで、土佐堀通を挟んだ向かいに建つのが堂々とした姿の大阪証券取引所ビル。

- 大阪証券取引所ビル(旧大阪証券ビル市場館)
大阪市中央区北浜1-8-16
設計:旧市場館 長谷部竹腰建築事務所、現大阪証券取引所ビル 三菱地所設計・日建設計
施工:大林組、大成建設、竹中工務店(大阪証券取引所ビル)
竣工:旧市場館1935年、増改築2004年11月
地上24階/地下2階
長谷部竹腰建築事務所設計の列柱が並ぶ堂々としたエントランスが北浜のシンボルビル。1935年竣工で、住友の工作部長であった長谷部鋭吉と建築課長の竹腰健造が1933年に長谷部竹腰建築事務所を立ち上げた初期の作品。長谷部竹腰建築事務所はその後、日建設計へと発展して現在も設計業界のトップ企業の一つ。大阪取引所の前には、その基盤を作った五代友厚像が建つ。

そのまま広い通りの堺筋を南に進むと、道路の向こうには新井ビル。

- 新井ビル(旧報徳銀行大阪支店)
大阪市中央区今橋2丁目1-1
設計:河合浩蔵(河合建築事務所)
施工:清水組
竣工:1922年
報徳銀行によって1922年に建てられたビル。1927年に世界恐慌のために報徳銀行が倒産した後は、日本産業貯蓄銀行が使用していたが、横領・背任事件により1933年7月に業務停止となり、その後新井末吉らによって創業された新井証券株式会社が1934年に取得してから新井ビルと命名されている。
堂々たる佇まいは、いかにも銀行らしい。現在は1階に「五感」というスイーツの有名店がテナントとして入居しており、2階もカフェとして利用できる。このカフェはお勧め。

さらに堺筋を南に進むと、威風堂々としたビルが見えてくる。

- 三井住友銀行大阪中央支店
大阪市中央区高麗橋1丁目8-1
設計:曾禰中條建築事務所
施工:竹中工務店
竣工:1936年
船場NAVIによると古典主義建築の集大成のような建物とのこと。いかにも威風堂々と完成された建築の様式美を感じる。外壁はブランド石材として知られる岡山県南部の瀬戸内海に浮かぶ北木島産の花崗岩。現在も現役の三井住友銀行の店舗として使用されている。
設計の曽禰達蔵は東京帝国大学建築学科出身で、東京駅の設計を行った辰野金吾と同期の1期生。二人ともジョサイア・コンドルの弟子で、また辰野金吾と同郷の肥前唐津出身。オリジナルは現存しないものの、復元建築が東京丸の内で美術館として再現された赤煉瓦建築の三菱一号館は、曽禰が現場主任としてかかわった作品。三菱二号館、三号館、四号館、五号館、六号館、七号館ともに曽禰が設計に関わっているが、残念ながらいずれも現存しない。

堺筋を挟んで三井住友銀行大阪中央支店の向かい側に建つのが高麗橋野村ビルディング。

- 高麗橋野村ビルディング
大阪市中央区高麗橋2丁目1−2
設計:安井武雄(安井建築事務所)
施工:大林組
竣工:1927年
戦前の野村財閥の持株会社である野村合名が建てた最初の貸しビル。戦後の財閥解体で野村財閥は解体となり、中核企業の野村銀行が大和銀行、野村生命保険が東京生命保険などと、野村の称号を消していくなか、野村證券はその名を存続させている。
設計の安井武雄は東京帝国大学建築学科出身で、東京タワーを設計した内藤多仲が同期になる。

さらに堺筋を南に下ると小西家住宅の長い黒塀が現れる。

- 旧小西家住宅(旧小西儀助商店)
大阪市中央区道修町1丁目6-6
設計:本間乙彦(意匠)、渋谷五郎(構造)
竣工:1903年
大阪町家の集大成の和風建築と言われる豪壮な木造建築。重要文化財に指定されている。小西儀助商店の社屋として使われてきたが、史料館として改修され、2020年から一般公開(火、金曜日のみ。予約制)されている。
小西儀助商店は、1870年に製薬を行う小西屋として創業したのが始まりとなる。現在はホームセンターでよく目にする木工用ボンドのコニシとして盛業中。

さらに堺筋を南に進んだ平野町通との交差点に建つ生駒ビルジングは、関西建築界の重鎮だった宗 兵蔵(そう ひょうぞう、1864~1944年)の晩年の3作品の一つ。今回見たかった建築の一つ。

- 生駒ビルジング
大阪市中央区平野町2丁目2-12
設計:宗 兵蔵
施工:大林組
竣工:1930年
生駒ビルジングは生駒時計店が建てたビル、屋上には時計台が設定されており、いまも時を刻んでいる。外観のタイルは薄レンガ色でおしゃれな雰囲気。ビルの中央には屋上から2階までブロックが直線上に設置され、両横に丸窓が配置している。これが時計の振り子を表した意匠だとか。遊び心に溢れたデザインである。
ちなみに宗 兵蔵の晩年3作品といわれる残りの2つは、大阪市福島の莫大小(めりやす)会館と神戸市灘の旧制灘中学校校舎で、いずれも現存している。

渋い建築の旧清水源商店を見たあとは、現在も残る個人の邸宅、岸本瓦町邸。現在見ても新しい。

- 旧清水源商店(三栄源エフ・エフ・アイ本店)
大阪市中央区平野町1丁目4-9
設計:不明
施工:不明
竣工:1894年(1934年改築)
昭和初期の、店主の住宅が付属しない町家風のオフィスビル。当時の京阪の伝統的な町家は店主の住宅と店舗が一体となり、当主は世襲という封建主義制度に基づいていたが、競争の激しい大阪では嗣子に限らず優秀な丁稚上がりの店員を婿養子に迎えることで、会社組織を強靱に作り上げていくという仕組みを取り入れていた先例だとされている。そのせいか、清水源商店は現在に至るも三栄源エフ・エフ・アイ株式会社として、従業員千名、年商800億超、米国・英国などの海外にも展開する企業として盛業中である。


- 岸本瓦町邸
大阪市中央区瓦町1丁目2-1
設計:住友工作部(笹川慎一)
施工:藤木工務店
竣工:1931年
天保2年創業の打ち刃物商泉屋、のちの岸本商店5代目の岸本吉左衛門(1887~1973年)の私邸。住友工作部の笹川慎一の設計。笹川が設計した旧住友ビルディングと同じ竜山石を使用した外観は、いまなおいささかも古さを感じさせない。
竜山石は宝殿石とも呼ばれる優れた建築石材で、兵庫県高砂市の竜山、伊保山から切り出される流紋岩質溶結凝灰岩。姫路城や国会議事堂、さらには仁徳天皇陵の石棺にも使われているという。
ちなみに岸本商店は鉄鋼商社として栄華を誇っていたが、1941年に伊藤忠商事、丸紅商店、岸本商店の3社が合併して三興株式会社となった。

再び堺筋に戻り、東京早稲田の大隈記念講堂を思わせるような早稲田屋ビル、壁面の装飾の美しい旧明治屋ビル、中央大通高架下に立ち並ぶ船場センタービルと順調に進む。

- 旧早稲田屋ビル(千鳥宗家堺筋本町ビル)
大阪市中央区本町2丁目1-2
設計:不明
施工:金山工務店
竣工:1935年
1903年創業のシャツのメーカー早稲田屋シャツの本店社屋として建てられた。1988年にシャツのメーカーとしてはトミヤアパレルに吸収合併されることになり、テナントビルとして使用されている。しばらくはビルには全国フランチャイズの「珈琲館」西日本営業本部が入り、大隈記念講堂のようなシンボルの塔が珈琲館の看板に隠されていた。現在は千鳥饅頭の「千鳥宗家」が入居し、シンボルの塔も復活している。


- 旧明治屋南本町ビル(風蘭ビルディング)
大阪市中央区南本町2丁目2-2
設計:曽禰中條建築事務所
施工:竹中工務店
竣工:1924年
曽禰達蔵の設計による優美なネオ・ルネッサンス様式のビル。三井住友銀行大阪中央支店とともに、船場に曽禰の作品の一つである。堺筋に面した曲線が美しい。2006年までは明治屋が入っていたが、現在はコンビニが入居し、その名も変わっている。

- 船場センタービル
大阪市中央区船場中央1丁目~4丁目
設計:日建設計、大建設計
施工:熊谷組(1号館)、鴻池組(2、3号館)、清水建設(4号館)、竹中工務店(5、6、9号館)、大林組(7号館)、奥村組(8号館)、大成建設(10号館)
竣工:1970年
船場に中央大通という幹線道路を建設するための道路用地として移転を余儀なくされた繊維問屋街の移転先として建てられた10棟のビル群。補償に難航する土地の収用に際して、実業家の小林茂喜が高架化した道路の下にビルを建てるという名案を提案して採用されたという。当時の大阪市長の中馬薫の「道路中央にビル十棟を建て並べ その屋上を高速高架道路とし西側平面道路下に地下鉄を走らせるという世界にも珍しい設計」という言葉が船場センタービルにある石碑に記されている。2020年には「ビル・高架道路・地下鉄駅の一体整備(船場センタービル、大阪市道築港深江線、阪神高速道路、Osaka Metro中央線本町駅・堺筋本町駅」という構造物名で「土木学会選奨土木遺産」に認定されている。

7:32に堺筋倶楽部の優雅な建物を眺めたあとは、船場の街並みを西に進み、原田産業株式会社、大阪農林会館と通過する。

- 堺筋倶楽部(旧川崎貯蓄銀行大阪支店)
大阪市中央区南船場1丁目15-12
設計:矢部又吉(川崎貯蓄銀行建築課)
施工:竹中工務店
竣工:1931年
川崎貯蓄銀行建築課の矢部又吉によって設計された大正ロマンの色濃く残る建物。重厚感のある切石のファサードの左右対称の外観を持ち、矢部が建築設計を学んだプロイセンのバロック・新古典主義の歴史的な建築様式が採用されている。

川崎貯蓄銀行の前身は1893年に川崎八右衛門らを発起人にして興された合資会社川崎銀行。1927年の昭和金融恐慌の際に第百銀行と合併して川崎第百銀行となり、傘下に川崎貯蓄銀行が置かれていた。その後、1943年に戦時統合によって三菱銀行に吸収合併され、1948年に千代田銀行と名を変え、さらに1953年には三菱銀行に名前が戻る。1996年には東京銀行と合併して東京三菱銀行、2006年にはUFJ銀行と合併して三菱東京UFJ銀行、2018年からは三菱UFJ銀行となっている。栄枯盛衰の理を現す。
話は堺筋倶楽部に戻る。建物を解体する話まで持ち上がったが、2001年にレストランへと再生されることとなった。その際には、金庫室はワインセラーに、役員室や電話交換室を個室ダイニングとして使うといったアンティークな雰囲気を生かすコーディネートが行われていたよう。

- 原田産業株式会社大阪本社ビル
大阪市中央区南船場2丁目10-14
設計:小笠原建築事務所
施工:竹中工務店
竣工:1928年
1923年に原田亀太郎によって設立された貿易商社を源流とする総合商社。大阪本社ビルは1928年に建てられた。左右非対称のファサードと大きな窓、重厚なエントランスが特徴的。

- 大阪農林会館
大阪市中央区南船場3丁目2-6
設計:三菱地所
施工:大林組
竣工:1930年
1930年に旧三菱商事大阪支店として建てられ、戦後、農林省関係のビルとなり大阪農林会館の名称になった。現在もビルのネームプレートは残るが、貸しビルとして稼働。

ここからは北に方向を変え、北久宝寺町の三木楽器本店を見学。ここはファサードの一部がアーケードで隠れている。次の丼池繊維会館に進むが、丼池は「どぶりいけ」と読ませる。

- 三木楽器本店ビル
大阪市中央区北久宝寺町3丁目3-4
設計:増田 清(増田建築事務所)
施工:鴻池組
竣工:1925年
日本最古の楽器店といわれている三木楽器の本社社屋。創業100周年にあたる1925年に建てられている。ピアノメーカーのスタインウェイの本社ビルを参考にしたと言われている。外観は美しいタイル貼り。植物のレリーフの豪華なテラコッタがいくつも施されている。

屋号の大阪開成館は、河内屋総本店から分家独立した佐助が1825年にこの地に貸本店を出店したときの名残。1884年に家督を継いだ4代目佐助が山葉寅楠のリードオルガンの販売を始めた1888年が楽器販売業の創業となる。1921年にはスタインウェイのピアノ販売の日本総代理店となっている。

- 丼池繊維会館
大阪市中央区久太郎町3-1-16
設計:不詳(リノベーション 高岡伸一)
施工:不詳
竣工:1922年
1922年に愛国貯金銀行として建てられた建物。戦後、繊維問屋街となった丼池筋で地域の商業者が株式会社丼池繊維会館を設立してこの建物を取得し、丼池繊維会館として使用されてきた。


少し狭い通りを進んで、8:15に日本綿業倶楽部、船場ビルディング、小川香料大阪支店社屋、武田道修町ビルと見学。
ビルの間の細い路地を抜けた先にあるお社は少彦名(すくなひこな)神社。薬の神様である。このあたりに集まる製薬会社を束ねる神様のよう。

- 日本綿業倶楽部
大阪府大阪市中央区備後町2-5-8
設計:渡辺節
施工:清水建設
施工:1931年
日本綿業倶楽部の施設として造られたビルであるが、国際会議の場として数多く利用され、リットン調査団が来館するなど、戦前の日本外交の舞台にもなっている。設計は戦前の近畿を代表する建築家の渡辺 節で、門下の村野藤吾も設計に参画している。横浜市に現存する旧日本綿花横浜支店も渡辺の設計。

外観はルネッサンス風の簡素なスタイルのビルではあるが、内部は部屋ごとに異なるスタイルで装飾された贅沢な造り。極東国際軍事裁判で裁かれる東条英機を題材とした映画「プライド・運命の瞬間」などの多数の撮影で使用されている。


- 船場ビルディング
大阪市中央区淡路町2丁目5-8
設計:村上徹一(村上建築事務所)
施工:竹中工務店
竣工:1925年
大正14年竣工のタイル貼りのオフィスビル。エントランスは広い吹き抜けとなっているが、荷馬車を引き込みやすいようにとのデザイン。住宅兼用のオフィスビルとして建てられたが、現在はレトロモダンなテナントビルとして活用されている。2011年のNHK連続テレビ小説「カーネーション」の撮影で使用されている。


- 小川香料大阪支店社屋
大阪市中央区平野町2丁目5-5
設計:本間乙彦
施工:竹中工務店
竣工:1930年
1893年創業の老舗香料メーカーの大阪支店ビル。創業地は大阪市の道修町で、現在も化学薬品メーカーの集まるところ。人工麝香の販売事業から拡大している。玄関は円弧を用いた窓枠と窓庇を交差させた独特な意匠。

- 武田道修町ビル
大阪市中央区道修町2丁目3-6
設計:松室重光(片岡建築事務所)
施工:大林組
建築年:1928年
製薬大手の武田薬品工業が1928年に建てた旧武田薬品工業本社ビル。設計者は辰野金吾氏の弟子の片岡安の開設した片岡設計事務所に勤めた松室重光。当初は地上3階建てだったが、2013年に4、5階が増築されている。現在は公益財団法人武田科学振興財団が使用している。

道修町(どしょうまち)は、江戸時代に堺の豪商小西吉右衛門が徳川2代将軍秀忠の命によってこの地に薬種商を開き、薬剤を検収するための和薬種改会所を設立したことから薬種問屋が軒を連ね、日本の製薬業の中心となっている。現在も武田薬品、田辺三菱製薬、塩野義製薬、住友ファーマなどの製薬会社が軒を連ねる薬の街として日本を支えている。





少彦名神社から北に1ブロックの堺筋から西に入った伏見町のエリアに進む。8:48に青山ビル、伏見ビルと隣あった雰囲気の良いビルを過ぎる。

- 青山ビル
大阪市中央区伏見町2丁目2−6
設計:伊東恒治
施工:大林組
竣工:1921年
伏見町のブロックに入ってまず目を引くのが全面を蔦で覆われた青山ビル。財界人の野田源治郎の個人の住宅として大正10年に建てられた。戦後はGHQの将校用施設として接収され、現在はテナントビルとして利用されている。

イタリア製のステンドグラス、屋上庭園や裏庭の日本庭園など、贅を尽くした建物だということ。外壁を覆う蔦は甲子園球場から枝分けされたもので、現在は2代目となる。

- 伏見ビル
大阪市中央区伏見町2丁目2-3
設計:長田岩次郎
施工:不詳
竣工:1923年
辰野片岡事務所出身の長田岩次郎の設計でホテルとして建設された。シンプルなアールデコ風のデザインで、最上部の十文字の装飾が目を引く。
ここからは西に2ブロックの高麗橋エリア。日本基督教団浪花教会、高麗橋ビルディングと、明治時代にタイムスリップしたかのような美しい建物を眺める。

- 日本基督教団浪花教会
大阪市中央区高麗橋2丁目6-2
設計:竹中工務店(William Merrell Vories設計指導)
施工:竹中工務店
竣工:1930年
1930年に建てられたプロテスタントの教会。1877年に設立した教会である浪速公会を起源とする。ゴシック様式の尖塔と大きなアーチ窓のステンドグラスが特徴的。オフィス街の中に突如現れる空間は、異世界に迷い込んだような気分にさせられる。
設計・施工は竹中工務店で、設計指導にはWilliam Merrell Vories。


- 高麗橋ビルディング
大阪市中央区高麗橋2丁目6−4
設計:辰野金吾・片岡安
施工:不詳
竣工:1912年
日本基督教団浪花教会に並んで建つ赤煉瓦の建物。赤煉瓦の色を見て分かるとおり、辰野金吾・片岡 安の設計。もとは大阪教育生命保険ビルとして建てられた。
赤煉瓦と白い石の外観が特徴的で、高麗橋ビルディング竣工の翌1913年に着工した大阪市中央公会堂に辰野様式の完成形を見ることができる。
現在は、ウエディング会場として利用されている。

北に進むと木造の優雅な建物の愛珠幼稚園。その北にある緒方洪庵が多くの弟子を育てた適塾には9:13に到着。

- 愛珠幼稚園
大阪市中央区今橋3丁目1-11
設計:大阪府
施工:不詳
竣工:1901年
1880年に開園した、現存する幼稚園として大阪府で最も古く、国内でも2番目に歴史のある幼稚園。また現存する木造幼稚園舎としても日本最古となる。

1945年には木造園舎からの空襲被害の拡大を恐れた隣接する軍需工場から撤去を依頼されたが、空襲のために解体作業が遅れたまま終戦に至り、現在も残ることとなった。緒方洪庵が角からヒョッと顔を覗かせそうな佇まい。

- 適塾
大阪市中央区北浜3丁目3-8
設計:不詳
施工:不詳
竣工:1792年頃
蘭学者・医師であった緒方洪庵が開いた蘭学の私塾。適塾は1838年開学だが、1845年に商家であったこの家を買い受けて瓦町から移転している。その後住居として、また適塾として、洪庵が1862年に幕府の奥医師として江戸に迎えられるまでの17年間使用されている。

適塾が大阪大学医学部の源流とされているのは有名。
北浜の吉田理容所から、日本生命保険相互会社本館と進み、さらに南下って芝川ビル、清水猛商店と見学する。

- 吉田理容所
大阪市中央区北浜3丁目2-2
設計:不詳
施工:不詳
竣工:1930年
1930年開業の老舗理髪店。当初は9~10軒長屋だったようで、現在も長屋の構造が残る。いまも現役の理容店。


- 日本生命保険相互会社本館
大阪市中央区今橋3丁目5-12
設計:片岡石本建築事務所・長谷部竹腰建築事務所
施工:中野組
建築年:第1期1938年(昭和13)、第2期1962年(昭和37)
東京有楽町の日生劇場のイメージのせいか、日本生命は東京に本拠を置く会社かと思い込んでいたが、1889年創業の日本生命は、1902年に大阪に本店を構えて以来、大阪が本店だった。最初の赤煉瓦の洋館は、細い路地の頃の御堂筋沿いにあり、正面玄関は心斎橋筋に面していました。1938年に北半分が完成し、戦争による工事中断を経て戦後はGHQに接収され、1962年にようやく全体が完成した。石張りのシンプルなデザイン。


- 芝川ビル
大阪市中央区伏見町3-3-3
設計:本間乙彦
施行:不詳
竣工:1927年
船場の豪商芝川家の六代目当主芝川又四郎によって1927年に建てられた芝川ビル。竣工当時は自宅として使用する予定だったが、教育に関心のあった又四郎の意向によって花嫁学校「芝蘭社家政学園」として使用された。現在はテナントビルとして盛業中。


- 清水猛商店
大阪市中央区淡路町3丁目5-6
設計:小川安一郎
施工:不詳
竣工:1924年
ファサードを一目見るとコンクリートの近代建築家と見紛うが、3階建ての木造建築。表の店舗の後ろには通り庭があり、さらに奥には和風の住居が続いている典型的な町家の構造。船場の商家が町家から西洋建築に移行する過渡期を切り取ったかのような事例と言われる。設計は住友ビルディングの設計も手掛けた住友工作部の小川安一郎。
現在も営業する室内装飾の専門店で、ワイヤーで釣られた庇、装飾を凝らしたライトなどが目を引く。
次いで、御堂筋を西に越えて、御霊神社、北野家住宅と進んで、大阪ガスビルディング。

- 北野家住宅
大阪市中央区平野町4丁目2−6
設計:不詳
施工:不詳
竣工:1928年
1928年に青果商だった北野栄太郎によって建てられた木造3階建ての町屋。1945年の大阪大空襲で奇跡的に免れ、不発の焼夷弾に削られた大きな穴の空いた2階の内壁の補修跡を含めて、大部分は建築当時の姿のまま残っている。

- 大阪ガスビルディング
大阪市中央区平野町4丁目1−2
設計:南館 安井武雄・北館 佐野正一
施工:大林組
竣工:南館1933年、北館1966年
1933年に安井武雄の設計で建てられた端正なビル。通称「ガスビル」として大阪市民に親しまれている。1966年に佐野正一の設計で増築し、現在も大阪ガスの本社ビルとして使用されている。
ここからは今橋に向かって北に向かって歩いて、大阪倶楽部に進む。

- 大阪倶楽部
大阪市中央区今橋4丁目4-11
設計:片岡建築事務所(安井武雄)
施工:大林組
竣工:1924年
住友家が主導して運営された実業界の会員制組織のために建てられた大阪倶楽部。住友本社営繕課建築係が設計して1914年に創建された大阪倶楽部旧館が1922年に失火のために消失したため、安井武雄の設計で1924年に新館が竣工し、現在も使用されている。新館竣工記念冊子で安井はその作風を「南欧風ノ様式ニ東洋風ノ手法ヲ加味セルモノ」と説明している。
最後は大物の三井住友銀行大阪本店ビル。これで船場エリアの主な建築物は歩き終えて、10:35に淀屋橋に戻って行動終了。

- 三井住友銀行大阪本店ビル
大阪市中央区北浜4丁目6-5
設計:住友合資会社工作部(野口孫市、日高 胖、長谷部鋭吉、竹腰健造)
施工:大林組
竣工:北側1926年、南側1930年
旧住友本社と連系各社の本拠の「住友ビルディング」として建てられた。住友家の家訓の「確実を旨とし浮利に趨らず」を反映してか、過度な装飾のない堅実な建物。1923年の関東大震災の惨状を目の当たりにした住友家十五代当主の住友吉左衞門友純の意向を反映して、建築にあたって耐火耐震構造を重視して、設計を見直したためとも言われる。

それにしても大阪・船場は見応えのある建築物が多い。気になる建築物が多すぎて、レポートを作るのに時間がかかってしまった。散歩コースの設定や資料作成にあたっては船場ナビ(https://semba-navi.com/)を参考にさせていただいた。
前回歩いてからすでに3年を経過して変わったところも随分ありそうだ。そろそろ再訪する時期が来た。

2023年4月29日 建築散歩 大阪船場 曇り 24/13℃
行動距離11.2km 行動時間4:45 獲得高度9m 行動中飲水量0ml