今回も廃線跡巡りの1日を紹介しよう。歩いたのは1986年4月1日に廃止された漆生(うるしお)線。現在も運行されているJR後藤寺線の下鴨生(しもかもお)駅から、1988年9月1日に廃止された上山田線の下山田駅までの7.9kmを結んでいた。
廃線テツの方のホームページで、漆生線の途中駅である才田駅跡から嘉穂信号場跡までは、路盤だけでなく、レールまで残っているとの記載を見かけて興味がわいた。
駅は下鴨生駅、鴨生駅、漆生駅、才田駅、(嘉穂信号場)、下山田駅の5駅。嘉穂信号場から下山田駅の間は、先日歩いた上山田線と重複している。全線単線で、全線非電化。
博多を8:03に出発する福北ゆたか線に乗車して新飯塚には8:49に到着。8:53発の後藤寺線に乗り換えて下鴨生には9:00に到着。かつて漆生線が発着していたという1番ホームを眺めてから9:05に行動開始。
駅の南の舗装路を東に向かって進む。舗装路はかつての路盤の築堤の上を進んでいるよう。通りがかりの地元の男性と挨拶を交わす。漆生線の線路跡を探して歩いているというと、とても喜んでくれた。漆生線はまさに今歩いている歩道の上を走っていたとのこと。右に緩いカーブを描いた舗装路が、ゆっくりと高度を上げていく。
家並みの間を真っ直ぐに進む舗装路を歩いて、下鴨生駅からわずか1kmほど、9:23に鴨生駅跡に到着した。ホームの一部だったと思われるコンクリート構造物の上には駅名標がある。ただしこれは当時の駅名標ではなく、漆生線が廃止されて7年を経た平成6年(1993年)12月に建てられたもの。駅の跡地は鴨生駅跡公園として残されている。ここでしばし小休止。
9:35に行動を再開し、右に緩いカーブの上りを経て、直線路となる。郊外型の店舗の並ぶ道を過ぎて、10:00に昭和橋で山田川を越える。橋の欄干にはSLの看板が架けられている。
道路が少し上り勾配になり、左にカーブを描きはじめた辺りが漆生駅。10:12に漆生駅跡に到着。ホーム跡のようなコンクリートの敷石が置かれた辺りが漆生駅跡公園として残されている。道路脇のコンクリートの壁には漆生線の現役の頃の写真がパネルとしてはめ込まれている。
漆生駅跡からしばらく真っ直ぐ進み、道路が左に曲がって狭くなる直前のところに稲築才田バス停がある。そこから真っ直ぐ、草むした方向に進むと10:35に才田駅跡と思われるコンクリートのホーム跡が現れた。
レールも枕木もすでに撤去されているが、才田駅のホーム跡の前には二筋の轍がみえ、向こうから列車が走ってきそうな雰囲気がある。しばらく轍の上を歩くとその先は藪となる。
頭上を走る道路の高架下に進むと、狭い川に架かるコンクリート橋のような構造物。漆生線の鉄道橋のようだ。藪がだんだん厳しくなるが、さらに進むと足元にレールが見えてきた。ここまで来た甲斐があった。レールと枕木が残っている。
ところどころ藪が深くなる。足でレールを確かめながら、藪をかき分けて進む。どんなに厳しい藪でも、レールが残っているところを見逃すわけにはいかないと慎重に進む。
1kmほどもレールを探しながら線路跡を進んだ。前の方から自動車の走る音が聞こえてくる。県道443号線が近づいてきたようだ。レールはなくなり、竹藪の中に材木が散乱している。このあたりが嘉穂信号場だったところだ。嘉穂信号場の建物は最近まで残っていたようなので、散乱した材木はその名残だろうか。
11:25に前方が開け、県道443号線に合流した。ここから先の漆生線は、上山田線との重複区間となる。県道を進み、11:40にすでに切り通しとなった新原鉄道トンネル跡を通過する。
県道沿いの炭鉱住宅の脇を通って、11:48に下山田駅跡に到着。ここで漆生線を巡る旅は終了。
せっかくなので、旧産炭地区の名残を楽しもうと、旧山田市の中心地区を散歩。山田川を渡り、料亭末廣、炭鉱に関連したと思われる廃機材や朽ちた建物を見て歩く。
帰りは旧山田市の中心街の大橋バス停から西鉄バスに乗って飯塚方面に乗車。上三緒駅から後藤寺線に乗って帰途についた。
2024年4月14日 廃線跡巡り 国鉄漆生線 晴れ 27/13℃ 行動距離7.9km 行動時間2:39 獲得高度67m 14526歩 行動中飲水量500ml
往路交通: 博多6:25福北ゆたか線-新飯塚7:14/7:36後藤寺線-下鴨生7:43
復路交通: 大橋13:51西鉄バス飯塚BT行-上三緒14:20/14:30後藤寺線-新飯塚14:35/14:42福北ゆたか線-博多15:34