とりあえず、歩くか。晴れた日は星空の下で寝るのもいい。

週末の九州自然歩道のトレッキングや日常の雑感です。英語版のトレッキングログもこちら https://nayutakun.hatenadiary.com/  で公開しています。

廃線跡巡り 国鉄宮田線+室木線+芦屋線

 今回は廃線跡巡り三重連を紹介しよう。最初の宮田(みやだ)線は、福岡県鞍手郡小竹町の勝野駅から福岡県鞍手郡宮田町の筑前宮田駅までの5.3kmを結んでいた国鉄の路線。1980年の国鉄再建法施行により第3次特定地方交通線に指定され、1989年に全線が廃止された。

 筑前宮田駅から北に5kmほどの地点の県道55号線が新幹線と交差するあたりには国鉄室木(むろき)線の終点の室木駅跡。室木線はかつて福岡県遠賀郡遠賀町遠賀川駅から鞍手郡鞍手町の室木駅までの11.2kmを結んでいたが、1985年に全線が廃止された。

 室木線の起点の遠賀川駅は現在も鹿児島本線が走るが、ここは1947年から1961年というわずかな間だけ運行された国鉄芦屋(あしや)線の起点でもあった。終点の筑前芦屋駅まではわずか6.2km。営業期間が短かったため「幻の路線」と呼ばれることもあるという。

 本日はこの3つの廃線跡を巡る旅を紹介しようと思う。

 まずは博多6:56発の福北ゆたか線筑豊本線)に乗車して勝野に8:11に到着。ホームの北には太陽光発電パネルが並んでいるが、筑豊本線との間には線路一つ分のスペースがある。資料を見ると宮田線勝野駅筑豊本線が電化された際に直方側に少し移動したと書いてあるので、この太陽光発電パネルのあたりが宮田線専用ホームだったあたりかなと想像を巡らせる。

博多駅から福北ゆたか線に乗車

勝野駅に到着

宮田線のホームは太陽光パネルの辺りだったかと想像

 勝野駅構内の人道跨線橋から、かつて宮田線の走っていた博多方面を眺めると、一部は駐車場になっているものの、線路の用地は残っているようである。

跨線橋から眺めるとかつての宮田線の線路跡と思われるスペースが博多方面に続く

 無人勝野駅を出て行動開始。フェンスの向こうに残る線路用地を眺めながら西向かって歩く。

一部は駐車場になった線路用地のようだ

国鉄の境界杭が残る

 踏切を過ぎて、右に緩いカーブを描く舗装路を進む。左には雑草に覆われた盛土が見える。かつての鉄道の築堤かもしれない。築堤の向こうには遠賀川の細い支流(用水路かもしれない)が見える。

舗装路の左に築堤のような構造が残る

 右から長崎街道が交差してくる地点で、長崎街道に沿って左折。川の北には橋台のような構造物も見える。

右から長崎街道が交差

振り返ると橋台のようなコンクリート構造

 長崎街道と交差して、ここから先ははっきりと路盤が続くのが見える。レールと枕木は撤去されているが、バラストの残された路盤が人家の軒先をかすめるように続いている。

路盤がはっきり続いているぞ!

間違いない。宮田線の線路跡だ。

レールも枕木もないが、路盤にバラストが残る。

 庭先の男性と挨拶を交わす。まさにここを宮田線が走っていたと言われる。ときどき集落の方たちで宮田線の路盤の草刈りをされているとのこと。ありがたい。

地元の方々のご奉仕で宮田線の路盤が残されている

心地よい廃線跡歩き

 ところどころ草の伸びたところがあるが、かつての宮田線の路盤の上を歩いているという感触は充分に味わえる。

ところどころ草が伸びているが、充分に楽しめる。

右手には六ヶ岳と麦畑

 ところが残念ながら路盤歩きは20分頃で終わりとなる。8:41には路盤が終了となり、舗装路に変わった。そして8:50には県道461号線と交差して、県道98号線の舗装路を真っ直ぐ進むことになった。

楽しい廃線跡はそろそろ終盤

バラストの残る路盤は、舗装路となる。

宮田線廃線跡は、右からの県道461号線と交差して、県道98号線の舗装路に変わる。

 9:00に磯光駅のあった辺りと思われる辺りを通過。通りがかりの男性と挨拶を交わすと、まさにここに磯光駅があり、宮田線を通学に使っていたとのこと。当時はこの先から菅牟田駅までの貨物専用線が分岐していたそうだが、現在は道路に変わり、痕跡は残っていないようだ。

県道98号線を真っ直ぐ進む

磯光駅が近づいてきた

地元の男性に尋ねると、まさにこのあたりに磯光駅があったとのこと。

菅牟田駅に向かう貨物専用線はこっちだったよと教えてくれた

 磯光駅跡からさらに直線路を進み、9:13に再度県道461号線と交差した。右手には犬鳴川が流れる。

さらに県道98号線の直線路を進む。右手には犬鳴川が流れる。

犬鳴川の堤防を右に見ながら進む

 9:27に三たび県道461号線と交差すると、その先には路盤らしき道が残っている。畦道かと思われるような状況だが、線路の幅の道で、直線的。さらに草の中にはバラストが見え隠れする。

県道461号線と交差

これは宮田線跡では?

これだ!

 ふたたび宮田線の線路の上を歩く喜びが溢れてくる。右手には家が見えてきて、9:37には終点の筑前宮田の駅名標が現れた。

 その先の道路を横切ると、ホームらしき遺構が現れる。さらにその先には炭鉱関連と思われるコンクリートの建物。9:45に宮田線の端末に到着した。宮田線は全般的に路盤がよく保存されており、歩き甲斐のあるコースだった。途中駅の駅名標が残っていればさらに楽しめたはずだ。

駅名標のさらに先にはホームらしき遺構

かなり長大なホームだ

炭鉱関連の建物も残る

 筑前宮田駅跡からは八木山川の堤防を歩いて室木に向かって北に進む。塩井橋を渡り、さらに10:00に春日橋で犬鳴川を越え、本城地区に入る。

八木山川の堤防を進む

塩井橋を渡る

犬鳴川を越えて本城地区に入る

 10:07に極楽寺にお参りして、県道55号線を北に進む。峠に近いところで、県道55号線から県道21号線に、さらに県道55号線と進んで、10:32に鞍手町境を越えた。

極楽寺

ベニバナマンサクが盛り

県道55号線を北に進む

フジも咲き始めた

鞍手町に入る

 10:36に宮田越上池、10:44に中畑集落と進んだところで、その先に新幹線の高架が見えてきた。

宮田越上池

中畑集落

県道55号線の先に山陽新幹線の高架が見えてきた

 次に歩くのは国鉄室木線(むろきせん)の廃線跡。室木線はかつて遠賀川駅から鞍手郡鞍手町の室木駅までの11.2kmを結んでいた国鉄の路線だが、1985年4月1日に全線が廃止されている。駅数は、遠賀川駅-古月駅-鞍手駅-八尋駅-室木駅の5駅。全線単線、全線非電化である。

 沿線の中小炭鉱から産出する石炭を輸送するために敷設された運炭鉄道であったが、1960年代以降はその使命を失ったが、終点の室木駅から山陽新幹線の室木トンネルまで延伸されて、新幹線建設のための資材運搬用の路線として使われたことがある。

 10:53に山陽新幹線の室木トンネル入口を通過。トンネルに向かう築堤は、草むらに覆われながらも残っている。さらには室木トンネルからカーブを描いて県道55号線に築堤が下ってくるのも見ることができる。

山陽新幹線室木トンネルを通過。トンネルに向かう築堤が見える。

県道55号線方向から室木トンネルに向かって築堤が上っていく

築堤が県道と交差する辺りにはバラスト大の石が混じっているような気がするが、気のせいか?

 県道の脇にはバラスト大の砂利が転がっている。県道を北に進んで、11:00に室木駅跡あたりと思われるところを通過した。現在は室木バス停となっている。かつては西鉄バスの路線だったようだが、現在は鞍手町コミュニティバスとなっている。資料によると、「旧室木駅前にある押しボタン式信号機には廃止後十数年もの間『室木駅前』という表示をしていたが、2000年代後期ごろ撤去されている。」ということだったが、たしかに現在は信号機そのものが撤去されていた。

このあたりが室木駅跡

いまはバス停となっている

 さらに県道55号線を北に進み、11:05に九州自動車道の高架下を通過した。

九州自動車道の高架下を通過

 11:15に十六神社の幟を見つけて小高い丘の上の白山神社にお参り。ここで小休止とした。

白山神社

かつて室木線の走っていた辺りを俯瞰する

 再び県道55号線に戻り、11:40に八尋バス停を通過。ここがかつての八尋駅跡あたりだろう。道路脇に草むした広場がある。ここが駅跡かなと想像したが、何も痕跡はない。

この草地の辺りがかつての八尋駅

 11:50に古江交差点で県道29号交差するが、さらに北に真っ直ぐ進む。

 12:10にサングリーン鞍手に到着。ここはかつての鞍手駅跡あたりになるはず。JAの軒先を借りてカップ麺の昼食とした。

本日のランチ

 12:30に行動を再開し、県道293号線との交差を過ぎる。この先で12:50に古月横穴の遺跡の看板が出てきた。せっかくなので立ち寄ってみる。6世紀後半から7世紀後半の横穴墓が40基残されている。保存状態もよく、見るべき逸品遺跡。

古月横穴

 古月横穴から県道55号線に復帰し、13:02に倉坂切通しを通過。このあたりではやや早めの田植えを行っている。

倉坂切通

田植え開始

 もう一つの切通しを通過した先が古月駅跡のあたりとなる。13:20に到着。現在は工場が建っているが、道路の幅が広くなっているところが駅の跡のような雰囲気。工場を通過した先には引き込み線があったようだが、右手には引き込み線に相当するような道が続いている。

切通しを通過した先が古月駅跡

この工場の辺りが古月駅

航空写真ではこのあたりが引き込み線

 さらに県道55号線を北にまっすぐ進み、13:35に遠賀町境を通過。右手には鹿児島本線折尾駅の名物かしわめし弁当の東筑軒の工場が見えてきた。小倉方面に出張の際にはいつも買い求める弁当。ここで作っていたかと感激。

遠賀町に入る

かしわめし弁当の東筑軒の工場

 この先にはレンゲ畑の向こうに、鹿児島本線を越える県道55号線の高架橋が見えてきた。室木線はおそらく高架橋の右手の舗装路あたりに敷設されていたのではないだろうか。県道に並行する舗装路を進み、鹿児島本線の線路の手前で緩いカーブを描いて遠賀川駅を目指して右に曲がる。

レンゲ畑の向こうに高架橋

鹿児島本線が通過

室木線は現在の県道55号線の側道辺りを走っていたよう。

 14:13に遠賀中継ポンプ場の横を通過した先は工場の敷地に進むようなので、敷地の外の藪を進んでみる。築堤らしき地形をたどって進む。すぐ左手には鹿児島本線の列車が通過する。

遠賀中継ポンプ場

藪の中を進んでみた

 この先には鹿児島本線と並走する部分に、レールはないものの西川に架かるガーダー橋が残っていた。この遺構は美しい。いつまでも残してもらいたいものだ。

西川に架かる室木線のガーダー橋

 跨線橋を渡って14:40に遠賀川駅に到着。室木線の方向を振り返ってみる。

遠賀川駅手前の跨線橋から室木線跡を振り返る

遠賀川駅で室木線跡は終わり

 本日さらに進むのが国鉄芦屋線の廃線跡。1915年に開業し1932年に廃止となったかつての芦屋鉄道の廃線跡を再利用して、第2次大戦後に進駐軍に接収されて日本陸軍芦屋飛行場から米空軍芦屋基地と変わった拠点への物資輸送路線(進駐軍専用側線)として1947年に建設されたのが芦屋線である。建設費用は大蔵省の終戦処理費により拠出され、1950年から大蔵省の所有路線となり、駅業務を国鉄へ委託することで一般旅客輸送も行われるようになった(Wikipedia 芦屋線より)。

 その複雑な経緯から「国鉄の営業路線であるが国鉄線ではない」と呼ばれたり、営業期間が短かったりしたため「幻の路線」と呼ばれることもあり、営業時の写真や資料がきわめて少ない。

 駅数は遠賀川駅筑前芦屋駅(5.5km)の2駅だが、芦屋基地の先の芦屋乗降場(6.2km)が設置されていた。軌間は1,067 mmで全線非電化。1961年に米軍芦屋基地が返還されると同時に廃止されている。そんな数奇な運命をたどった鉄道の痕跡を探してみよう。

 JR遠賀川駅の北口を出て14:50に西川橋で西川を渡る。昔の航空写真を参照すると、線路は遠賀川駅からいったん西に進み、北東方向へカーブし、もう一度カーブして北へ進んでいたようだ。地図を見ながらかつての線路のあったあたりを歩くが、遠賀川駅付近のカーブ部分は完全に区画整理され、痕跡は残っていない。

遠賀川駅から西に進んでいたはずだが、痕跡がない。

航空写真ではこのあたりを通過している

この狭い路地の方向に進んでいたよう

 遠賀川駅から先のカーブ部分を抜け、15:10に県道285号線に出た。まっすぐ進み、芦屋町南側の浜口交差点から北は国道495号となっている。

このあたりで県道285号線に合流

 15:20に松の本北交差点を通過。資料ではこのあたりが芦屋線ではなく芦屋鉄道の松の元駅跡となる。

県道285号線に合流して北に進む

芦屋鉄道の松ノ元駅はこのあたり

 この先はずっと県道285号線を北に進む。15:28に戸切川を鬼津橋で越え、15:45に芦屋ボート前を通過。15:48に芦屋町境を過ぎて、芦屋町に入った。

県道285号線をまっすぐ北に

鬼津橋

戸切

芦屋ボート入口

 15:52に浜口南交差点を通過して再び国道495号線となる。この先は民家の並ぶ通りを過ぎて、16:08に筑前芦屋駅跡近くの公園に到着した。この高浜町児童公園は、筑前芦屋駅の駅長や助役の宿舎跡だとされている。

終着駅が近づいてきた

高浜町児童公園

 公園内にはD60形の61号機が静態保存されているが、これは芦屋線で使用されたものではなく、筑豊本線で使用された機関車とのこと。公園の道路を挟んだ向かい側のアパート群は、駅構内の貨車操車場の跡地とのことである。

D60形の61号機

筑前芦屋駅はこのアパート群の中だった

 今回の廃線跡巡りはここで終わり。芦屋中学校前バス停から芦屋タウンバスに乗車して、博多への帰途についた。

2024年4月13日 廃線跡巡り 国鉄宮田線+国鉄室木線+国鉄芦屋線 曇り 23/14℃ 行動距離31.3km 行動時間8:07 獲得高度194m 46289歩 行動中飲水量1100ml 

往路交通: 博多6:56福北ゆたか線-勝野8:11

復路交通: 芦屋中学校前バス停16:51芦屋タウンバス-遠賀川17:07/17:42鹿児島本線区間快速-博多18:36