とりあえず、歩くか。晴れた日は星空の下で寝るのもいい。

週末の九州自然歩道のトレッキングや日常の雑感です。英語版のトレッキングログもこちら https://nayutakun.hatenadiary.com/  で公開しています。

廃線跡巡り 柚須原線(未成線)

 油須原線は、かつて嘉麻市にあった漆生駅と、現在も存在する赤村の油須原駅を結ぶ計画だった鉄道路線

 1966年に西半分の漆生駅-豊前川崎駅間が部分開業したが、路線としては油須原線を名乗らず、漆生-下山田間は漆生線(2024年4月14日踏破済み)、上山田-豊前川崎間は上山田線(2024年4月6日踏破済み)の延伸として扱われている。

 その後、筑豊地区の炭鉱の閉山が相次いだため、東半分にあたる豊前川崎-油須原の工事が一旦中止されるなど停滞。さいわい苅田町日産自動車九州工場が設置されることとなり、通勤輸送や関連企業が期待されて1973年に建設工事が再開。

 ところが1976年に大赤字確実な路線として国鉄は同線の引取りを拒否。結局、未開業区間である豊前川崎駅から油須原駅間の工事は、用地取得はほぼ終え、工事の半分程度は完了していたものの、一度も列車が運行されることのない未成線となってしまった。国鉄の分割民営化後、未開業区間の用地は沿線市町村の川崎町、添田町大任町、赤村に無償譲渡され、トロッコを走らせているところもある。

 本日は、日本の国策や産業構造の激変という荒波に翻弄され続けた油須原線の未成区間部分を歩いてみた旅の紹介。

 博多8:03発の福北ゆたか線に乗車して、新飯塚に8:49に到着。ここで8:53発の後藤寺線に乗り換えて田川後藤寺には9:16に到着。さらに9:20の日田彦山線に乗り換えて、豊前川崎には9:27に到着した。

日田彦山線

 豊前川崎駅筑豊地区の鉄道の要として機能していた駅だ。駅から西に進めば、1988年9月1日に廃止となった上山田線の線路跡が残り、東に進めば油須原線の建設が着工されていた。今回は豊前川崎駅からしばらく日田彦山線に沿って東の西添田駅に向かって歩を進める。

豊前川崎駅から東に進む

 Wikipedia(油須原線)を見てみると、1969年6月までには豊前川崎と大任の間の路床工事は完了しているはずである。実際に豊前川崎駅のホームから油須原線の列車が運行されたことはないはずだが、日田彦山線のレールの脇には単線1軌道ぐらいの草むらが残っているようだ。たかのす踏切で確認してみる。

日田彦山線の線路脇にスペースがある

やはり線路脇のスペースが続いている

 川崎町本町の家並みの中を日田彦山線に平行に南東に進む。9:49に川崎町から添田町境を越える。この先で油須原線は県道95号線から左に曲がっていたはず。県道脇には築堤と橋台のようなコンクリート構造物が見える。

川崎町本町の町並みを進む

添田町に入る

日田彦山線から分岐した道床が残っている

 9:55には県道95号線を左折。左折したところには第2大任駅の建設が予定されていたよう。こころなしか道路の幅が広いような気がする。

日田彦山線から分岐した道床は、県道を横切り道路の左に進んでいるよう。

このあたりが道床の跡だろうか

 大任町に向かって標高30~40mほどの丘を登っていく。道路の左には築堤のような盛り上がりがあるが、これが道床跡かどうかは不明。Wikipediaでは1978年2月19日に福田トンネル前の路盤工事は終えているはず。勾配を考えると丘の中腹にはトンネルの入口があるはずだが見つからない。

福田トンネルの入口が見つからない

 トンネルを探して丘の向こうまで藪の中を進んでみたが、手がかりが見つからず引き返して、10:23に丘の頂上付近に復帰した。やむなく舗装路を下ったところで、10:27に福田トンネル南口の開口部を見つけて小躍りした。トンネルは柵で塞がれていて、中に入ることはできなかった。

小山の頂上まで来た

やむなく大任町に向かって舗装路を下る

あれ?トンネルか?

福田トンネル発見

 福田トンネルから下ったところで県道453号線と交差する。このあたりが福田駅跡となる。未開業ではあるが。

県道453号線と交差するこのあたりが福田駅予定地

 県道との交差点からはきれいな舗装路が続いている。彦山川に沿って左に緩いカーブを描いている。彦山川の堤防も舗装されているが、過去の航空写真で確認すると堤防の中にある舗装路がかつての油須原線の路盤だったようだ。

舗装路は築堤を削って作られたもの

舗装路の先に築堤らしき

 舗装路の先に築堤が見えてきた。舗装路はこの築堤を切り崩して作られたものだとわかる。築堤の先には彦山川橋梁。巨大な遺構だ。添田線の廃線跡巡りをした際に見た、彦山川に架かる橋の由来がいま明らかになった。コンクリートの橋脚には諸元を書いたパネルが埋め込まれている。設計は日本鉄道建設公団下関支社。橋の途中で高さの変わるちょっと変わった設計だ。

ここまで油須原線の築堤が削られていた

油須原線彦山川橋梁

 残念ながら彦山川橋梁は渡ることができないため、下流の大行事橋に迂回する。11:00に橋梁の対岸部分に到着し、添田線との合流地点から大任の方向に歩き始める。

大行事橋から彦山川橋梁全体を眺める

なんでこんな構造なんだろう。下に道路を通すためか?

現在は橋梁には立ち入り禁止

添田線跡を北に進む

 11:13に大任駅跡に到着。ここは添田線の駅として運用されていたが、油須原線も共用する予定だったのだろうか。ここで雨が強くなってきて雨具を装着。

 添田線の跡に沿って北に700mほど進んだところが、添田線と油須原線の分岐となる。11:30に分岐をスタートして北に進んだが、11:44に道路は行き止まりとなった。このあたりの路盤は造成してあったのかどうか不明。

油須原線は添田線からここで右に分岐

きれいな舗装路に転換されている

このあたりは勾配があるから軌道跡ではないかもなと思いながら進む

ついに小山で行き止まり。どこかにトンネル入口があるのだろうか?

 突き当たりとなった道路から右手に迂回して進む。道路脇に航空写真で確認できた経路が道路を横切るところに路盤跡のような地形があり、丘に向かって進んでいる。その先には工場がある。工場の方に挨拶して敷地に入れてもらう。もう記憶が薄れたけれども、たしかに以前は鉄道の工事をしていたなと言う。工場の裏手の山を上り、トンネルの上と思しき辺りを進む。

迂回して進む

勾配と路盤の幅から、ここに油須原線が通っていたのではないかと類推。

工場の横の藪に進んでいたのでは?

ここか?

工場の方にお話を聞いて、裏山に登る。

山を越えたところに動物飼育施設

山を越えたら平坦な地形になった

 道路の先に築堤が見えてきた。この先は路盤が残っているようだ。12:09に野原越トンネルの東口に到着。ここから先は築堤が残っており、跨線橋も残されている。路盤はコンクリートで固められ、トロッコ軌間500mmほどのレールが敷設されている。

道路の先に築堤のような構造発見!

ビンゴ!野原越トンネル東口。

トンネル内にはトロッコ軌道が敷設されている

しばしトロッコ軌道の上を歩く

跨線橋も残っている

本村トンネルか?

 嬉々としてトロッコのレールを辿って進む。12:19に本村トンネルの西口に到着。トンネルには柵が施してあって中に入ることはできないが、明かりが点っている。どうもトロッコのメインテナンスをしているようだ。

本村トンネルの内部が明るい

 トンネルの通過する小山の南を迂回して、12:25に本村トンネル東口に到着。トンネルの中にはトロッコ列車が1台鎮座していた。

本村トンネル東口

トンネル内にはトロッコ列車

 さらにトロッコの軌道を500mほど歩いて12:40に赤駅に到着。赤駅国鉄田川線が1987年にJR九州に継承された後、平成筑豊鉄道田川線に転換された後、2003年に新設された駅で、油須原線の構想にはなかった。

赤駅に到着

ちょうど平成筑豊鉄道田川線が入線

ロッコの軌道はここまで

 赤駅から赤村の行政の中心部を歩いた後、12:50に外山跨線橋を通過し、県道418号線を東に進む。赤村の中心の油須原までの1.5kmほどの道。雨が強くなってきた。

赤村役場。町の中心からは離れている。

外山跨線橋から平成筑豊鉄道田川線を眺める

油須原の町が赤村の中心地

 13:05に油須原線の終点となる油須原駅に到着。九州最古の瀟洒な木造駅舎が残されている。ここで未成線の油須原線の廃線跡を辿る旅は終わりとなる。

油須原駅

 ここからは源じいの森駅まで1kmほど歩いて、源じいの森温泉でランチを食べて、温泉に浸かって雨で冷えた身体を温めてから福岡に戻ることとした。

2024年4月21日 廃線跡巡り 柚須原線(未成線部分) 雨 21/17℃ 行動距離14.4km 行動時間4:02 獲得高度278m 25986歩

往路交通: 博多8:03福北ゆたか線新飯塚8:49/ 8:53後藤寺線田川後藤寺9:16/ 9:20日田彦山線-豊前川崎9:27

往路交通: 源じいの森15:11平成筑豊鉄道田川線-田川伊田15:37/15:42平成筑豊鉄道伊田線-直方16:22/16:28福北ゆたか線-博多17:39