とりあえず、歩くか。晴れた日は星空の下で寝るのもいい。

週末の九州自然歩道のトレッキングや日常の雑感です。英語版のトレッキングログもこちら https://nayutakun.hatenadiary.com/  で公開しています。

廃線跡巡り 国鉄上山田線

 今回ご紹介するのは国鉄上山田線廃線跡巡り。かつての産炭地区である福岡県飯塚市飯塚駅から田川郡川崎町の豊前川崎駅までを結んでいた国鉄の路線。筑豊炭田からの石炭の輸送のために筑豊鉄道によって飯塚からの最初の区間が1895年に開業した歴史をもつ。その後、九州鉄道に合併され、1901年に上山田まで延伸。1907年には国有化されている。

 第二次世界大戦後に上山田から豊前川崎までの営業が始まったが、ほどなく石炭産業は磊落の一途をたどり、国鉄分割民営化後の1988年9月1日に廃止されている。

 全長25.9kmと長く、通行不能なトンネルもあるよう。これまでの歩行記録や廃線マニアの資料も乏しく、どんな1日になるか不安だ。

 博多から6:56発の福北ゆたか線に乗車。7:58に新飯塚に到着し、8:02発の後藤寺線に乗り換え。この便は快速で、途中駅での停車はなく、終点の田川後藤寺には8:18に到着。さらに、8:33発の日田彦山線に乗り換えて8:40に豊前川崎に到着。駅のホームから西を眺めると、200mほど先で分岐したレールが途切れるのが見える。あれが上山田線の線路だったのかな、などと考えながら行動開始。

ホームから眺めると先の方で途切れたレールが見える

 豊前川崎駅から西に進み、跨線橋を渡る。跨線橋から100mほど先まで現在の日田彦山線の脇にレールが延びている。さらにその先まで路盤のスペースが残っているが、藪と化している。

跨線橋から上山田線のあった方向を眺める

 日田彦山線から少しずつ離れていく舗装路を進む。ちょうど桜が満開。

線路のあった辺りは桜並木に変わっている

 新雁喰橋で丸山川を渡り、左に松本病院を眺めながら緩やかなカーブで左に曲がる舗装路を進む。福祉の小径と名付けられている。

新雁喰橋

松本病院を通過

 左手には変電所が出てくる。右手には安宅川が流れる。平坦な舗装路でこのあたりは南に真っ直ぐ進んでいる。圃場は緑。麦が穂を稔らせている。

変電所を通過

安宅川

麦畑に囲まれた道路

 右に歩道のある直線の舗装路を進む。交通量はほとんどない。9:17に「国鉄上山田線東川崎駅跡」の石碑を通過。

 さらに真っ直ぐな舗装路を進む。9:26に川崎町立病院を通過。川の名が中元寺川に変わっている。真崎2号橋を渡る。

さらに真っ直ぐ進む。左には川崎町立病院。

中元寺川

真崎2号橋

 9:40に真崎駅跡に到着。跡地は「あまぎふれあい広場・鉄道記念公園」として整備され、ホームの一部が残されている。

ホームの一部が残っている

 この先は上山田線の路盤は歩道として整備されているようだ。中元寺川右岸の歩道を進むが、新真崎橋の先が工事中。残念ながら左岸に迂回し、酒屋渡橋で再び右岸の歩道に戻る。

線路跡は歩道として整備されている。

残念ながら途中で歩道の整備工事のため対岸に迂回

 しばらくはよく整備された歩道を進む。歩道脇には桜、馬酔木が植えられている。

快適な歩道となっている

 10:16に魚楽園の看板を見つけ、立ち寄ってみることとした。300mほど山手に舗装路を進んだ先で休園中との表示を見つけやむなく引き返す。

 ふたたび歩道に引き返す。快適な歩道を500mほど進み、10:24に熊ヶ畑隧道の東入口に到着。トンネルの中はレールは撤去されているが、枕木は残っているようだ。残念ながら通過はできないが、向こう側には出口からの光が見える。真っ直ぐなトンネルだ。

トンネルの出口が見える

 トンネル脇の県道67号に出てトンネルの直上の山を越えることとした。10:41に標高160mの峠を通過。道路脇の日当たりのよい斜面にはワラビがいっぱい生えている。自動車の男性が路肩に車を止めてワラビを採り始めた。

 10:48に川崎町と嘉麻市の境界を通過。この先は舗装路を下っていく。

嘉麻市に入る

 舗装路を進み、人家が見えてくるあたりから線路が現れた。線路をすこし引き返したところに熊ヶ畑隧道の西口があった。(後で調べたところ、真崎駅から熊ヶ畑トンネルまでは2007年夏に「雪舟ロード」と呼ばれる道路建設工事が完了し、遊歩道及び自転車道として使用されている。雪舟は魚楽園を造園したとされる室町時代の禅僧。)

線路が残っている

 トンネル入口あたりには倒木が散乱している。入り口には柵が施されているが、柵の一部は壊されている。中を覗くと、柵のすぐ先までレールが残されているが、トンネル内のレールは撤去されている。(付記:熊ヶ畑トンネルにはレールが残っていたが、2004年にこのトンネル内のレールが約1.7kmに亘って盗まれていることが判明し、同年11月19日に被害届が出された。翌2005年2月に2人の容疑者が逮捕されている。この事件をはじめ、トンネルの壁への落書きやトンネル内へのゴミの不法投棄もあったため、現在このトンネル内の線路は撤去され、両方の入り口が柵で封鎖されている。)。トンネル内を歩くことができたら楽しそうだが、残念だ。

 熊ヶ畑隧道の先は線路が続いている。県道と交差するところのレールは撤去されているが、県道の先には再び線路が現れる。

県道の先にも線路が続く

 11:21に熊ヶ畑小学校を通過。以前の航空写真ではこのあたりが熊ヶ畑駅のあったところ。残念ながら現在は駅舎は解体され、駅跡を示すものはない。

熊ヶ畑小学校あたり。この付近に熊ヶ畑駅があったはず。

 さらに進むと線路上にプレハブの倉庫が現れた。倉庫にはトロッコ格納庫の文字が書かれている。その先には材木で作られたプラットフォーム。トロッコの乗り降りに使われているようだ。(付記:熊ヶ畑駅跡付近では橋梁やレールが残され、1996年から山田市(現在は嘉麻市)主催で線路の保守作業に使われていた軌道自転車で上山田線跡を走る「トロッコフェスタ」が毎年秋に開催されるようになった)。トロッコ駅に腰を下ろしてカップ麺の昼食とした。食後はコーヒー。満開の桜が目に映える。

 食事を済ませて11:52に行動再開。1kmほど線路上を歩いたところで残念ながら線路が途切れた。この先は土砂崩れがあったようで工事をしていたが、迂回して先に進むと藪の中から線路が現れた。

さらに線路が続く。トロッコ用に整備されているようだ。

ここで行き止まりとなる

この先は工事中

 藪をかき分けつつ先に進んでみる。足にはレールと枕木を感じることができる。この先は清藤川に出たが、ここに架かる鉄橋は撤去されていた。

藪をかき分けると線路が見えてきた

鉄橋は撤去されていた

 やむなく迂回して川向こうの橋台部分から歩行再開。芝桜の植えられた築堤の上を歩いて12:15に中の馬場橋梁を通過。この先も築堤の上には線路が残されている。

迂回して続きを歩く

芝桜で彩られた築堤の上に線路が残る

しばらく線路が続く

鉄橋も残る

 12:30にサヤ住宅橋梁を渡る。この先は藪化が激しいが、線路が敷かれたままのため、何とかたどることができる。鉄橋を渡ってその先は県道に合流した。

藪の中に線路が残る

 12:45に神幸交差点を通過してからは鉄道の路盤は消失した。すでにすっかり舗装路に転換されてしまったよう。射手引神社にお参りして先に進む。

神幸交差点

 12:54に上山田駅跡に到着。現在は山田生涯学習館となっている。駅名標と踏切遮断警報機が残されているが、かなり時代がある。当時の物が残されているのかもしれない。近くのセブンイレブンで飲料水を購入して小休止。

 さらに県道を進むと団地の緑地に休憩施設がある。このあたりが下山田駅のはずだが、駅跡を示すものはない。

このあたりが下山田駅

 この先は炭鉱住宅を過ぎ、左カーブを抜け、13:41に新原鉄道トンネル跡となる。ここは現在は切り通しとなっており、トンネル跡を示す説明板が設置されている。

炭鉱住宅

 信号場と下山田駅との間にあった新原トンネルは撤去、開削されているがトンネル跡を示す案内板があり、道路向かいのバス停留所に現役時代の貴重な写真が掲示されている。

新原トンネルはいまは切り通し

 この先は真っ直ぐな県道443号線となる。日吉峠のあたりに嘉穂信号場跡が残されていたらしいが、県道の拡張工事に伴い建物は取り壊されたようだ。

県道433号線を進む

かつてはこのあたりに嘉穂信号所があったようだ

 さらに県道を進み14:11に大隈駅跡に到着。ここには駅名標が立てられ、腕木式信号などが保存された鉄道公園として残されている。

 さらに県道443号線を進み、14:25に光代新橋で遠賀川を越え、その先の道の駅うすいで小休止。メンチカツでお腹を満たし、あまおうソフトクリームで渇きを癒やす。

遠賀川を越える

道の駅で小休止

 14:50に行動を再開し、レンゲ畑を右手に見ながら進む。15:10に臼井駅跡を通過。わずかにホーム跡が残っていた。

臼井駅のホーム跡

 15:15に桂川町境を越え、ひたすら県道を進む。

 15:57に三菱炭鉱第二坑本卸巻き上げ機台座を通過。この近くに炭鉱の抗口があったのだろう。大きな機材だ。周囲を圧倒している。

三菱炭鉱第二坑本卸巻き上げ機台座

 16:16に平恒駅跡を通過。道路沿いにホーム跡が残り、駅名標も建てられている。ここは駅跡が近隣の方々によって守られているようだ。

 この先の宮ノ前踏切あたりには上山田線の路盤の痕跡が筑豊本線に合流した痕跡が残っている。現在の筑豊本線脇にはもう一本分の線路のスペースがあったように見える。

宮ノ前踏切

 筑豊本線沿いに上山田線の線路敷跡が草叢して残っているようだ。そんなことを考えながら16:39に飯塚駅に到着。ここで行動を終了し、16:48発の筑豊本線に乗車して博多への帰途についた。

2024年4月6日 廃線跡巡り 国鉄上山田線 曇り 20/10℃ 行動距離29.3km 行動時間7:53 獲得高度336m 44147歩 行動中飲水量500ml

往路交通:博多6:56福北ゆたか線新飯塚7:58/8:02後藤寺線田川後藤寺8:18/8:33日田彦山線豊前川崎8:40

復路交通:飯塚16:48福北ゆたか線-博多17:39