東京駅を起点として新橋駅に至るまで、丸の内、銀座、築地、新橋界隈の著名な建築物を巡る一筆書きの旅の2つ目のポイント。出張の際に時間ができた折りに歩いてみたら、つごう3時間ほどでさまざまな建築物の美しさを堪能することができたので、記録として残しておきたいと思う。
(2) JPタワー 千代田区丸の内2-7 設計:三菱地所設計(旧東京中央郵便局舎原設計:吉田鉄郎)
東京駅丸の内南口を出て左を見ると、道路を挟んだ向こうに見えるのがJPタワーである。竣工は2012年と東京駅と同時期である。
JPタワーは隈研吾設計と言われることもあるが、じつは隈研吾は内装の意匠を担当している。設計は三菱地所設計で、低層階の東京駅に面した部分などは旧東京中央郵便局舎の一部を保存・再生しているが、この原設計は逓信省の営繕課に在籍した吉田鉄郎である。旧東京中央郵便局舎は1931年に竣工している。
旧東京中央郵便局は、昭和初期のモダニズム建築の代表作とされてきたが、東京駅前の超一等地で5階建てのビルを維持するのは、収益性の点では無理があった。民営化されたJPによる再開発計画が起こると、当初は取り壊して新規に超高層ビルを建てるという案が有力であったが、この歴史的な建造物を無に帰することには強い反対が起こり、2009年に再開発計画の見直しがなされて部分保存が行われることになった。部分保存を行い、かつ高層化するには容積率にやや無理があったため、容積率の一部を東京駅から購入している。
この地域でおこった再開発計画の見直しは、東京駅、JPタワー(東京中央郵便局)、三菱一号館とつながる一連のムーブメントとして、建築や町並みの保存に対する議論のきっかけを作ってくれた。
ちなみに三菱一号館は、現在はJPタワーの南西のブロックにある三菱一号館美術館として古風で優雅な姿で目を楽しませてくれるが、オリジナルは1894年に建てられた、東京駅の設計を行った辰野金吾の工部大学校時代の恩師であるジョサイア・コンドルの設計になる歴史的建築物である。オリジナルの三菱一号館は明治時代の優れた建築物として文化的価値が高く、保存を望む声が高かったにもかかわらず、同地区のオフィス需要の急増に対応するため、所有者の三菱地所は1968年に解体工事を強行している。その後、解体資材を用いた移築保存を望む声もあったのだが、別所で保管されていたほとんどの解体材は廃棄されてしまった。
現在、丸の内で見ることができる三菱一号館美術館は、コンドルの設計図の残存やその他の資料をもとにして2009年に建てられた、あくまでもレプリカで、また、建設の経緯についても、三菱地所が歴史的建造物の保存としてのボーナスとして容積率割増を受ける狙いであったとの見方があり、さらには三菱一号館美術館が建てられたその地こそが丸ノ内八重洲ビルジングという保存を強く望まれていた歴史的建造物だったこともあり、建築散歩のコースからは敢えて外すこととした。
参考文献:商店建築、http://www.shotenkenchiku.com/blog/shuzai/entry-417.html